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インターネットと社会指標 1(エンカルタの興亡)

BSのドキュメンタリーでは北米での新聞社やテレビ局のクローズ・ダウン(閉業)の過程を扱った作品が増えて来たように思える。共通した閉業の原因はインターネットの影響が大きいと言うものである。

革命的な社会変動をもたらすといわれたインターネットが、ここにきてリアルな変動要因とされている現象を考察してみたい。

よく引き合いに出されるのが百科事典業界だ。インターネットが急激に普及する直前の1990年初頭の北米に於ける百科事典業界の全体的な売り上げは12億ドル(1000億円以上)で業界筆頭はブリタニカの6億5千万ドルであった。業界二位のワールド・ブックとほぼ寡占状態であったと聞く。

この寡占状態に陰りを与えたのがマイクロソフト社で1993年にエンカルタという99ドルのCD百科事典を発売した(アポロやケネディ、キング牧師の演説等の動画データーが珍しく拙も購入した事がある)まったくマイナーな百科事典会社のデーターを移しただけだったが1996年にブリタニカの売り上げは最盛期の半分である3億2500万ドルに落ち込み、売り上げの源泉であった強力な戸別販売部隊を解雇せざる得なかった。僅か5年程度で凋落したわけである。

1997年には百科事典業界全体の売り上げは6億ドル以下に落ち込みマイクロソフト社は1億ドルの売り上げを達成していた。この時点での売り上げ推移の経緯は、俗に産業界ではイノベーション・キックといわれる現象で格段に珍しい話ではない。清涼飲料の容器がガラスからペット・ボトルに変わるような話なのだ。(イノベーションによって業界全体の売り上げがマイクロソフト社によって非対称にされてしまったのである)

ところが昨年2009年にマイクロソフト社はエンカルタの販売を打ち切った。インタ−ネット百科事典Wikipediaの登場である。もはや百科事典が産業的な角度から売り上げを期待することができない環境となっている。象徴的なのはWikipediaのサービスの対価がタダ(笑)になっていたことである。これは売り上げ以前の環境であり対称、非対称と語れる次元ではない。

http://ja.wikipedia.org/wiki/

このことは何を示唆するのだろうか
百科事典業界を取り上げたのは非常にわかりやすい時系列的な経緯を辿っていたからだ。それはインターネット登場以前と以後の歴史である。インターネット登場以前はパッケージ販売で大きな売り上げを上げていた業界が過渡期のパソコン普及によりCDという新しい媒体に打撃を受け、ネット化によって更に規模の縮小をせまられ従来的な手法では未来を計算する事ができなくなってしまったのである。

現在、拙は日に何回もWikipediaを利用している。このことは逆に考えると百科事典の利用者は有料時代よりも幾何級的に増えていることが想像される。サービスがフリーだからだ(笑)インターネット上の主要なサービスはフリーが当たり前になっているが、このサービスが社会的にどれだけ有益であるのかは経済指標にはあらわれない。しいていえば接続世帯の爆発的な普及率が数字となって現れるだけだ。

Wikipediaはボランティアの書き込みをベースとしており慢性的な財政不安を抱えている。拙ですらこのサイトのビジネスモデルはどうなっているかと疑問に思える程だから深刻なのかもしれない。

しかし同じフリーのサービスを売りにしているグーグルのビジネスモデルは成功しており、考え方の違いはどこから出て来るのだろうと思った事がある(これは次回にでも考察してみよう)

Wikipediaはボランティア・ベースで記事が書かれている事は誰でも知っている。そのため記事の信憑性は権威の確立しているブリタニカとは異なっている。その点でビジネスモデルを確立したブリタニカのフリーのサービスが始まれば百科事典業界は大きく変貌する可能性がある。

が、アクションの兆候がみられない現状では将来的にブリタニカはグーグルに買収される可能性が高いと拙は思っている。フリーサービスの貪欲性を追求するグーグルの手法はいずれ権威を求める方向に転換するのは時間の問題と考えるからだ。

(つづく)

家庭用カメラで手ブレ補正競争が熱くなる理由

今回は相当意地の悪い角度から考察してみる。

AVCHDの最高記録レートは17M(だったけ?)前後と記憶しているが手ブレ補正はこの記録レートに密接にリンクしている。

このレートだと圧縮特性が最高に良いのはデジカメと変わらない静止画のような動画(笑)が最高の圧縮効率を稼げる事が理解出来る。悪くても静止した画面上のどこかが動いていると言うのがメーカーの本音のお薦め使用方法という話になる。

逆に圧縮特性が悪い対象を考えると、常に動いている水面とか風に揺れ動く森とか、画面全般にわたって動きがある映像であることは議論を待たない。ところがこれに似た状況がある。

手持ちの使用環境である(極端に言うとズームやパンも)

上記の考え方の延長線上では手持ち補正がないと一気に圧縮信号が平均化し画質が極端に落ちると言う話になる。つまり家庭用小型カメラの手持ち撮影はウリでありながら画質が落ちるという根源的な問題が存在するのが理解出来る。

そのため性能的に手持ち補正技術に狂奔するメーカーの立場というのが痛い程よくわかる(笑)つまり補正技術が上がれば→画質が良くなると言う循環がはじまるわけでこれだけ比例改善するテーマはなかなかない。補正は圧縮に起因した問題と拙は感じているのだ。

使えるかなぁ〜と思うのは初期の補正では風が吹けば画面がヌルヌルした感触が出て気持ちが悪かった物だが最近の機器では安い三脚を使って弱い風くらいだと画面が煽られなくなった。たとえ1K程度の腐れ三脚だとしても上記の原理から行くと極力手持ちを避けて三脚を使うと言うのが利口ではないかというのが拙のメソッドである(笑

これが50とか100Mくらいの記録レートだと全然手持ちを気にはしない世界でいけるのだが何せ家庭用は疲れるのだ(笑

相変わらず しょうもない事を書いていると反省している(笑

3D再生装置の跳梁2

今回は夢想に近いSFじみた話なので、お忙しい方は飛ばしてもらって結構だ。

撮影方式として3次元を表現するにはどのような方法が適しているのだろうかと考えた事がある(ファンタジーだ)。どうも自分の好みに合っているのはホログラフィーかな等と思っている。

映画表現では初期のスターウォーズでC3POが映し出したお姫さんの映像である(多少解像度は悪かったが雰囲気を伝えていた)延長線上の表現は、あのシリーズでよく使われていたと思う。

つまりイメージが空間の中央に突然出現するあれである。

現実的にあれをリアルに再現しようと思えば最も初期的なシステムでも3方向からの投影が必要であろう。精度を上げるにはもっとかもしれない。

その映像はカメラと言うよりは箱の中に物体があり、カメラが箱の縁に付随している定点カメラのような仕様で物体を撮影しなければならないことになる。つまり三脚がなくなり空間にある定点カメラに演技をして立体的に再現されるという仕組みになる(簡単に言えばだ)

すると再生装置は液晶をZ軸上に並べた四角い箱と言うイメージになる。箱の中に透過型のディスプレーが詰まっておりZ軸上でも色が再現される。つまり2次元の平面ではなく3次元的に見せるためには再生面を3次元化させなければ厚みを持った物体が表現する事ができないだろうという原理である。

現実的には再生面を厚みの仕様に合わせて数千枚並べる必要があり、なおかつ透明感が必要となってくる。つまり3軸*3をコントロールできる同期信号と流体素子のようなものが必要となってくるわけだから、ありていに言えば拙の寿命が届かない世界だと断言出来る(笑

上記を考えると画面の正面から見るメガネ方式(笑)が現実的なアプローチだという結論となる。

なにやら妄想になってしまったがメガネをかけないで認知すると言う話だと以上のような構想にならざるえないのかとあきらめている(笑

3D再生装置の跳梁

アバターと言うハリウッドの映画作品がタイタニックの興行収入を上回ったという。興行界ではちょっとした事件だったが何が違うのかというと3D作品だということだ。

小出しにされた技術的なニュースではイメージされたキャラのリアルの動きをモーションピクチャーされるドキュメンタリーをみてなるほどと唸った憶えがある。動きの細かいニュアンスはリアルな人間から取った方が計算で構築するより圧倒的に作業が易しいからだ。

その延長線上に3Dがあったということで、なるほど作図思想が大幅に進化しているわいと更に感心したしだいだ。

それに歩調を合わせるようにデジタル家電の現場では3D機器の発売のアナウンスが続々と続いている。この調子では本放送が始まる前に1920*1080のシステムは時代遅れとなってしまうだろう(爆

3D放送をハイビジョンシステムに融合させるためには少なくとも3940*2160システムの放送方式にしなければ高解像度が高画質と説得力を持たせる世界を提唱していたデジタル放送の世界が根底から崩れてしまうからだ。

これは原理的にインターレスを両目に振り分ける原理から成り立っている。つまり片目の解像度を540本にしなければ3Dにはならない。これでは解像度的に前時代のNTSC時代の解像度ではないかと思うのは説だけだろうか(笑)解像度と言うのはあくまで垂直を重視する従来の考え方から言うとこうなる。

おぃおぃおぃ、提唱されていた高解像度の世界はどこに行ってしまったのだという話である。これをプログレッシブ・スイッチングにしたら30Pの1/2の15Pということになるが1秒間に15コマというのはあるのか?? ありえない(笑)んでもって、この方式は例のメガネをかけんと、もはや映像作品としてみるにはたえないだろう。

希望が持てるのは60P記録をプログレッシブ・スイッチングして両目に30P(30コマ)に割り符すればいけそうだが、果たしてそうなるのだろうか、微妙だ(てか、これでなければ片目540本の3Dがデファクトとなれば本放送前にデジタル放送は終わった(意味あるの)という話になるからやっかいだ)それだが、1920/60Pってデジタル放送の規格にあったっけ??


まぁ原理的な問題はそれくらいにして、3D装置を第三世界ではどのくらいの価格でデリバリーするのだろう。またぞろ韓国にパクられて日本国内でしか売れない状況になれば、日本の家電は学習効果無しで、大量生産による価格低下が期待出来なくなる。

せいぜい原理的に家庭用のカメラの需要を期待する局面しか見えて来ない。家庭用のカメラは双眼鏡のような仕様で今のカメラが2台平行に装備される立体カメラが期待されるからだ。これとて今のカメラの2倍の金額で販売出来るかあやしい(てか、ズームするとき技術的にどうするのという疑問があるが(笑))

まぁ、どう進化して行くか様子見と言うことになりそうだ。

拙的に興味を引くのは教育の局面で3Dの作品の記憶率が飛躍的に上がると言う話がある。ほんまでっかいなというのが正直な所なのだが(笑

だとしたら教育のリアル現場に立体模型がバカスカあってもしかるべきだが、それが映像で急に効果がでるもんかねぇ〜などと思ってしまうのは悪いクセかw

ダッカ事件のドキュメンタリー

BSドキュメンタリーのダッカ事件は久しぶりに見応えがあった。事件は29年前の赤軍派による日航機のハイジャック事件だ(事件は76年に起こった)それぞれの立場でどのような事があったか掘り起こしている構成でまことに面白い内容だった(赤軍派の言い分は除外されているが(笑))

学校の同期の父親がパイロットをやっていて当該か日本政府が新たに送り込んだ機に乗っていたと記憶している。昔の話なので幾分記憶が薄れたがバングラデシュ政府と赤軍派との交渉の最中にクーデターが起きたという劇的な別展開がされたことで衝撃をうけた思い出がある。

報道の分野では73年に北ベトナムとアメリカのパリ交渉の調印でアメリカのNBCが携帯の2インチのVTRを持ち込み16mmが報道の主流メディアであった時代にスクープをものにした事件が起きた。他社は現像して編集しテレシネする時間をロスッたのである(これがENGの始まりと言う説がある)

ここに報道は時間との競争である宿命が浮かび上がってくる。報道情報は時間経過で陳腐化していくということが明らかになり、それ以降の情報は事件の重要性に伴い検証と言う段階に儀式化される。

実はこのクーデターの事件後にアメリカの3大ネットワークが現地にいた日本政府に同行した放送局のENGクルーを追いかけたオチがあった。空港内で起きた反乱軍の戦闘シーンを日本のクルーが撮影していたという推測からであった(米国は報道を金に換えるシステム(視聴率=金)が出来上がっていた)

番組では政治家の石井一 氏がそこら中にバングラデシュ空軍の兵が射殺され管制塔内は血で足が滑るのではないかと言う感想を述べていた。2〜3年してアジア地区のNBCのカメラマンと酒を飲む機会があり、その事件に話が及んだ時に後追いで取材した話を聞いた。

武装反乱軍がいきなり管制塔に入ってきて「ベンガル人は出てこい」と言ったそうである。おずおずと出て行った人間(だったかそれ以外だったか記憶が定かではない(笑))は全部射殺されたと聞く。彼曰く、そのとき日本のクルーは現場にいた可能性は非常に高かったそうであるが事件後、すぐに機材をまとめて国外に出国し、箝口令を引いたようだと話していた(もちろん撮影はなされなかったと聞いた)

それはそうだろぅなぁと思った。日本はアメリカのように世界の警察官を自認して世界中の紛争地帯に飛び込んで行く国の作りにはなっていない。他国の内政問題にカメラを持ち込んでも嫌われるか極端に言えば殺されるリスクをしょわなければならない報道ができるわけがない。

ドキュメンタリーをみながら あらためて報道を考えさせられた。くだんのカメラマンは気のいいヤツだったが今頃何をしているのか時々気になる。

福田赳夫という総理大臣は国債を最初に発行した時の大蔵大臣だったと記憶しているが、このときは超政治的配慮と言う事で刑事犯を国外に出国させている。あとになって色々言う人がいるが このような判断をしなければならない政治家の立場と言うのは相当ハードだなぁと感じるだけで、ありていに言えばその立場に自分はなりたくないと思うのが凡夫である拙のふがいなさなのかもしれない(笑

ふがいなくて大いにけっこうであるが...