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ダッカ事件のドキュメンタリー

BSドキュメンタリーのダッカ事件は久しぶりに見応えがあった。事件は29年前の赤軍派による日航機のハイジャック事件だ(事件は76年に起こった)それぞれの立場でどのような事があったか掘り起こしている構成でまことに面白い内容だった(赤軍派の言い分は除外されているが(笑))

学校の同期の父親がパイロットをやっていて当該か日本政府が新たに送り込んだ機に乗っていたと記憶している。昔の話なので幾分記憶が薄れたがバングラデシュ政府と赤軍派との交渉の最中にクーデターが起きたという劇的な別展開がされたことで衝撃をうけた思い出がある。

報道の分野では73年に北ベトナムとアメリカのパリ交渉の調印でアメリカのNBCが携帯の2インチのVTRを持ち込み16mmが報道の主流メディアであった時代にスクープをものにした事件が起きた。他社は現像して編集しテレシネする時間をロスッたのである(これがENGの始まりと言う説がある)

ここに報道は時間との競争である宿命が浮かび上がってくる。報道情報は時間経過で陳腐化していくということが明らかになり、それ以降の情報は事件の重要性に伴い検証と言う段階に儀式化される。

実はこのクーデターの事件後にアメリカの3大ネットワークが現地にいた日本政府に同行した放送局のENGクルーを追いかけたオチがあった。空港内で起きた反乱軍の戦闘シーンを日本のクルーが撮影していたという推測からであった(米国は報道を金に換えるシステム(視聴率=金)が出来上がっていた)

番組では政治家の石井一 氏がそこら中にバングラデシュ空軍の兵が射殺され管制塔内は血で足が滑るのではないかと言う感想を述べていた。2〜3年してアジア地区のNBCのカメラマンと酒を飲む機会があり、その事件に話が及んだ時に後追いで取材した話を聞いた。

武装反乱軍がいきなり管制塔に入ってきて「ベンガル人は出てこい」と言ったそうである。おずおずと出て行った人間(だったかそれ以外だったか記憶が定かではない(笑))は全部射殺されたと聞く。彼曰く、そのとき日本のクルーは現場にいた可能性は非常に高かったそうであるが事件後、すぐに機材をまとめて国外に出国し、箝口令を引いたようだと話していた(もちろん撮影はなされなかったと聞いた)

それはそうだろぅなぁと思った。日本はアメリカのように世界の警察官を自認して世界中の紛争地帯に飛び込んで行く国の作りにはなっていない。他国の内政問題にカメラを持ち込んでも嫌われるか極端に言えば殺されるリスクをしょわなければならない報道ができるわけがない。

ドキュメンタリーをみながら あらためて報道を考えさせられた。くだんのカメラマンは気のいいヤツだったが今頃何をしているのか時々気になる。

福田赳夫という総理大臣は国債を最初に発行した時の大蔵大臣だったと記憶しているが、このときは超政治的配慮と言う事で刑事犯を国外に出国させている。あとになって色々言う人がいるが このような判断をしなければならない政治家の立場と言うのは相当ハードだなぁと感じるだけで、ありていに言えばその立場に自分はなりたくないと思うのが凡夫である拙のふがいなさなのかもしれない(笑

ふがいなくて大いにけっこうであるが...