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微分幾何学と位相幾何学の物体認識2

以前宇宙の形状についてペレリマンの業績を述べたことがある。
http://audience.studio-web.net/diarypro/diary.cgi?no=143
話の内容は実証世界の話なので現在我々が生きている実存世界とはおよそかけ離れた話なのだがBSで今日、番組を見ていて考えさせられてしまった。

我々は反射電磁波の世界に生きている。厄介なのは可視光線と言われる電磁波長は電磁波としては存在しているが色というのは脳が認識しているのであって宇宙に色と言う絶対量が存在している訳ではない。(目の色覚細胞が目の周辺に存在しないにもかかわらず視野はカラーで均一化されているのを見ると脳のマジックである事が理解出来るだろう)

同じ文脈で可聴周波数と言うのは脳が音として認識するのであって、同じく音として宇宙に絶対量が存在しているわけではない。周波数は周波数にすぎないのだ。
ショッキングなのはオブジェとして認識する形状も形状認識細胞の組み立てによって脳が物体を認識していることが明らかになってきている。(五感といわれるものは全て脳が作り出している)

形状認識細胞で作り出される形状のデザインは宇宙で共通に存在するデザイン規格ではない(笑)むしろ太陽系第三惑星の人類と言う種が認識するデザイン感覚と言う方が正解だろう。だから宇宙人が見る地球の風景は人間が見る風景と同じではないはずだ。知覚認識の系が人類と同じはずがないからだ。

サーストンの天才(強引)性は自宅にある庭の植物の葉の形状を観察して植物の形態から宇宙は最大8個以上の形態はないと言う理論に昇華させているが根本的な問題はその形状認識が脳が作り出しているものに過ぎないと言う事である。

つまり脳が作り出している物体を数値化させて実証的に証明が可能になったわけで人間は論理を数値に置き換えて証明しうる思考的な道具を手に入れたのである。ところが肝心な部分、つまり脳が作り出した形状世界が実存的に存在しているかは証明出来ないと言うのが正しい認識であるいうことだ。

論理学の源流は旧約聖書より端を発しギリシャのタレス、ピタゴラスによってほぼ完成している。近年に至って絶対的と言われたそのユークリッド幾何学(論理学)の絶対性が崩れ、すべての理論は仮説とみなされるようになった。非ユークリッド幾何学の登場である。科学の近代化にとっては飛躍的な思想であることは、その後の人類の生活環境の激変をみれば明らかである。マックス・ウェーバーは近代の特徴として宗教的な迷信が薄れて行くと言う社会と定義したが論理学の進化は新たな亡霊を生み出している。

実存世界の信憑性を証明する道具を人類は持ち合わせていないからだ。

ホーキンスは自分は実証世界しか興味がないと言っている。つまり数式によって証明される世界しか生きていないと宣言しているわけだ。凄い。そのため前提となる世界が一般的に理解される事が難しい虚数の時間が流れていても虚数の高さが存在しても平気のへいざという話になる。

まぁ、改めてホーキンスの地平を考えさせられた夜だった。と同時に上記の理由により法律で規定されたものではない人間の倫理的な行動規範というのも宗教に束縛された行動から逃れるのにはまだまだ時間がかかるだろうとの思いが深まった。

例えば外務省のロシア関係の外交官(諜報員)だった佐藤優 氏は予定悦を信じるキリスト教徒でありながら国家の分析にはマルクス主義的な角度から解釈を試みるユニークな解説で読者を魅了しているが、要するに国益を争うフィールドにおいても法的規範以前に宗教的なバックボーンを理解出来ないと国際関係がわからないと言う立場での論調が支配的だ。

ことさら大袈裟に書いてしまったかもしれないが、日本人である貴方が犬を連れて散歩をした時、いつも犬がオシッコをする場所に突然鳥居のマークがありオシッコをすると罰が当たるなどと書かれていたら貴方はどうするだろう? 行動的な規範とはこのような科学的に説明ができない民族と言う地域に分割された人間にある心理的な抑圧と等しい。

論理の端緒は宗教的だ。旧約のユダヤの神は自分以外の神を拝むものが存在したらユダヤ人を全員抹殺する意思を持った「妬む神」であった。(シナイ契約以前にも「ノアの大洪水」や「ソドムとゴモラ」の実績がある(笑))ここでモーセは神を説得して虐殺を免れ最後にユダヤ人は約束の地に到達している。(但し、出エジプト以降40年以上も砂漠を彷徨させられ少しでも神の意に背く人は根絶やしとなり更に約束の地カナンの先住民を皆殺しにしたあげく、モーセは神の意志でカナンに入る事は認められない落ちまでつく。この記述だけでも宗教的にはユダヤ人以外に共感を得る事は難しいかもしれない)

上記の話の面白い所は論理は神をも説得出来る技術であると言う点である。

プログラムでの基礎となる論理式は頭の体操を強いられる面白い物であるが源流はこのように生きるか死ぬかの話である。旧約はへたな三文小説より遥かに面白い話が多いが、神が語る言葉を見る限り実に面白い論理や行動規範がある。世界中の各民族はこのような起源伝説が多かれ少なかれあり独自の倫理体系を所有し、それがナショナリズムの規範となっている。佐藤優 氏の面白さは民族主義と言うのは幻想かもしれないという反面、キリスト教徒である事だ(ここでは深く言及しない(笑))

ホーキンスのような実証主義で生きる人間にはとても理解ができない世界なのかもしれない。各民族間に存在する行動的規範なる倫理も我々の実存性が科学的に解明されたとしたら薄れて行く宿命を持つのか色々考えさせられた夜だった。