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常陸太田の郷土史をかじってみた 3 (太田稲荷神社)



近所の高校に隣接してその神社はある。

規模からいって氏神かと思わせるたたずまいで、どこの町に行ってもありそうな雰囲気だが調べるとシビレルくらい濃い。創建時期は不明だが伝承によると6世紀の物部氏が入植した時代に遡るそうである(そのためこの町ではもっとも古い神社とされている又そうなれば京都の伏見稲荷大社や茨城の笠間稲荷神社より古いということになる)主神は宇迦之御魂神で出雲系である。

拙にとってこの物部氏がとっても気になる一族なのである。 西暦720年に成立した日本書紀は天皇の命令によって作られた日本最古のオフィシャル正史と知られている。その日本書紀に神武東征のきっかけは東の国に天磐船に乗って飛び降りたものがいて饒速日命(ニギハヤヒノミコト)という名を聞いたことから始まったと書かれている。

神武の東征は兄が戦死する等、決して順調に推移したわけではなかったが最終的に饒速日命は神武に臣従し神武は初代の天皇に即位したと言う経緯が述べられている。この日本書紀の記述によって推測されるのは
・天孫降臨は高天原ばかりでなく他の場所でもあったこと(しかも神武は天孫降臨系の子孫であったが饒速日命は天孫降臨をした当事者であった)
・ヤマトと名付けたのは饒速日命であったこと
・また饒速日命は天孫降臨の証拠として天羽羽矢(あまのははや)と歩靫(かちゆき)を所持しており神武は饒速日命を天神の子として認めたとある。

結果的に饒速日命(ニギハヤヒノミコト)は臣従することで物部氏の祖となったわけだがオフィシャル正史として日本書紀の過激な点は
・天皇家と物部家は天孫系の同一族である点を記述しており
・饒速日命がヤマトに出現したのは神武より先だったことだ
つまりヤマトは天孫系のニギハヤヒの王朝があり同じく天孫系の神武に王朝が継承されたと堂々と記述されているに等しいわけだ。このような記述があるため学会では物部氏の扱いについて事実上のバンザイ状態と聞く(笑)謎なのだ。

臣従後の物部氏は神武を助け尾張・美濃・越を平定後に播磨・丹波・石見を経て居を構えたと島根県大田の物部神社の社伝にある。

大田部や太田部という集団は畑作や稲作の専門集団である。前回紹介した長幡部神社も天孫降臨系の幡部が主力となっている(しかも美濃と関係が深い)このように島根県大田と常陸太田は不思議と共通点がある。

ここまではいつものように拙の妄想の結果だが(笑)さらに妄想を膨らませると、なぜ島根に居を構えなければならなかったということだ。答えはすぐに出てくる。出雲大社の存在だ。

ニギハヤヒは出雲系の出目だったのだろうか??

出雲系だとしたらヤマトの三輪山の主神が出雲系であることが神武以前の話なのでおかしくはない。実に不思議なのだ。なにやら書記によって隠された真実がありそうな気がする。つまりアマテラス系が統一の過程で出雲系を取り込み覇権の確定後に出雲系の関係者が消されて行くと言うありがちな図式が妄想として更に大きく膨らんでくる。

宇迦之御魂神が古事記・日本書紀ともに名前が出て来るだけで事績の記述はないところに拙の妄想の原因があるかもしれない。