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常陸太田の郷土史をかじってみた 2 (長幡部神社)



長幡部神社(ながはたべじんじゃ)は八世紀に編纂された常陸国風土記に記されている。その記述によると祭神・綺日女命は天孫降臨に従い、その後、日向から美濃(三野)へ移り、崇神天皇の御代に、長幡部遠祖・多弖命が、美濃から久慈の当地へ遷したという。

絁を織る時に当りて、輙く人の見 るが為に、故れ、屋の扉を閉ぢ、内を闇くして、織る、因りて烏織 と名づく。強兵、利剱も、裁ち断ることを得ず。と記述されていることから長幡部の民は烏織という門外不出の技術で作った布を朝廷に納めていたようだ。これは刀で簡単に切ることが出来ないという当時の軍事用ハイテク織物技術であったと言われている。

このような経緯のため江戸中期の北関東では一族が広めた結城織りの影響もあり織物の神として尊敬されていたと言う。常陸太田市内の源氏に縁を持つ神社が多い中で社の縁起が天孫降臨までさかのぼり長幡部遠祖が祭神として祀られているきわめてユニークな神社であることがわかる。

境内に散在している小さな祠の中には修験道や陰陽道に関連した神社もある。拙の興味は烏織という失われたハイテク織物と古代の社近辺に住んでいたと言う占部の存在だったが散在している祠をネタに推測するのも無理があるだろう(話としては面白いが)

むしろ面白いのは関東に於ける織物工業の祭神としては現在も説得力があることである。なぜなら天孫降臨までさかのぼって織物に特化した神社はあまりないからだ。数多のアパレル各社の祭神として長幡部神社が祭られる姿を想像するだけでも面白い。(ユニクロのオフィシャル神社とか(笑))

神話にさかのぼった話なので畏れ多いがハイテク集団の氏神の話ということで勘弁してもらいたい。