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蝦夷開拓ヲ命スルノ勅語 明治天皇 PDFで視聴 wiki 参考情報リンク  

明治2年(1869年)6月6日、肥前国佐賀藩主、鍋島直正は蝦夷開拓総督を命ぜられ、旧藩士島義勇らを
開拓御用掛に登用、7月13日には初代開拓使長官に就任したが、蝦夷地へ赴任することなく、
8月16日大納言に転任した。健康を損なっていたようです。佐賀藩士だった島義勇が札幌の
区画(条丁制)を策定しています。
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札幌時代の石川啄木 野口雨情 PDFで視聴 wiki 参考情報リンク  

野口 雨情(のぐち うじょう)
1882-1945。詩人、童謡・民謡作詞家。本名は野口英吉。茨城県多賀郡磯原村(現・北茨城市)出身。『小樽日報』に勤めていたときには同僚に石川啄木がおり、交友を結ぶ。

作品について:札幌時代の石川啄木
石川啄木の困窮が偲ばれる一作でこれでは家族もたまったものではない。野口氏は他にも「石川啄木と小奴」という啄木の釧路時代を執筆しているがそこでも啄木は釧路から夜逃げ同然を決め込んでいる姿を描いている。明治期で文学者が食べて行くには難しかったと考えさせられる著書だ。面白かったのは大通公園の由緒で屯田兵の永山将軍の考えと記述しているところで新鮮だった。
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札幌まで 寺田寅彦 PDFで視聴 wiki 参考情報リンク  

寺田 寅彦(てらだ とらひこ)
1978-1935。地球物理学者。漱石の門下生でもあり、吉村冬彦の筆名で作品を書いた。数多くの随筆があり、いまでも多数の読者に愛読されている。

作品について:札幌まで
昭和7年の秋に札幌に講演旅行をした時の記録らしい。

札幌
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喫煙癖 佐左木俊郎  PDFで視聴 wiki 参考情報リンク  

佐左木 俊郎(ささき としろう)
1900-1933。明治33年宮城県生まれ。「文学時代」(新潮社)の編集長であるとともに、探偵小説作家でもあり、農民文学の作家でもあった。昭和8年死去。

作品について:喫煙癖
 原稿用紙で6枚くらいの小品だが珠玉の作品に仕上がっている。内容を話したら興ざめなのでご覧ください(笑


地域:道央,石狩,札幌,豊平,月寒,札幌駅
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牛肉と馬鈴薯 国木田独歩 PDFで視聴 wiki 参考情報リンク  

国木田 独歩(くにきだ どっぽ)
1871-1908。千葉県銚子生まれ。本名は哲夫。東京専門学校(現・早大)に在学中、「青年思海」「女学雑誌」に投稿。その後「青年文学」に参加し、日清戦争の時は従軍記者として「国民新聞」に通信を送り続けた。1897年、処女小説『源叔父』を発表。代表作として『武蔵野』『忘れえぬ人々』。

作品について:牛肉と馬鈴薯
東京で友人同士が集まって開拓の経験や希望などの話が出てくる。年代的には「空知川の岸辺」より後と思われる。

空知と推定
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空知川の岸辺 国木田独歩 PDFで視聴 wiki 参考情報リンク  

国木田 独歩(くにきだ どっぽ)
1871-1908。千葉県銚子生まれ。本名は哲夫。東京専門学校(現・早大)に在学中、「青年思海」「女学雑誌」に投稿。その後「青年文学」に参加し、日清戦争の時は従軍記者として「国民新聞」に通信を送り続けた。1897年、処女小説『源叔父』を発表。代表作として『武蔵野』『忘れえぬ人々』。

作品について:空知川の岸辺
 北海道への移住を目的に、土地の選定のため来札し、空知川の沿岸を辿る過程で遭遇する北海道の冷厳な自然に対する驚嘆と畏怖。触れ合った人々への愛と感謝の心の動きが、5日間の滞在中の体験記として切々と語られる。明治35年頃の歌志内の炭坑夫で賑わう飲み屋の様子が生き生きと描写されており一読のおもしろさあり。ともかく文体に格調があり美しい。

地域:道央,空知,歌志内

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蟹工船 小林多喜二 PDFで視聴 wiki 参考情報リンク  

初出:「戦旗」1929(昭和4)年5月、6月号
秋田県の農家に生まれ、北海道小樽で育つ。「1928年3月15日」「蟹工船」などの作品により、日本のプロレタリア文学運動を代表する作家となった。1933年、地下活動中に逮捕され、東京・築地署で拷問により殺された。いわゆるプロレタリア文学の代表作とされ、国際的評価も高く、いくつかの言語に翻訳されて出版されている。
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カインの末裔 有島武郎 PDFで視聴 wiki 参考情報リンク  

初出:「新小説」1917(大正6)年7月 仮名遣い種別:新字新仮名(100ページ)
作品について: 獰猛な欲望と生命力に突き動かされる農夫、仁右衛門。人間に立ちはだかり圧倒する自然の猛威。羊蹄山のふもと北の大地を舞台に描かれた、無知ゆえに罪を犯す主人公の焦がすような生のいとなみ。

開拓期題材の小説ですが使われている道具の名前等、現在になるとわからないものが多く、とまどります。また、擬音の表現に遊んでいるのかなぁと思わされるのもが多くあります。内容は暗いです。学校の先生があまり薦めなかったのも解るような気がする(笑
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小作人への告別 有島武郎 PDFで視聴 wiki 参考情報リンク  

有島 武郎(ありしま たけお、1878年(明治11年)3月4日 - 1923年(大正12年)6月9日) は、日本の小説家。
学習院卒業後、農学者を志して札幌農学校に進学、キリスト教の洗礼を受ける。1903年渡米。帰国後、志賀直哉や
武者小路実篤らとともに同人「白樺」に参加。1923年、軽井沢の別荘(浄月荘)で波多野秋子と心中した。
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農場開放顛末 有島武郎 PDFで視聴 wiki 参考情報リンク  

有島 武郎(ありしま たけお、1878年(明治11年)3月4日 - 1923年(大正12年)6月9日) は、日本の小説家。
学習院卒業後、農学者を志して札幌農学校に進学、キリスト教の洗礼を受ける。1903年渡米。帰国後、志賀直哉や
武者小路実篤らとともに同人「白樺」に参加。1923年、軽井沢の別荘(浄月荘)で波多野秋子と心中した。
文中の地名である狩太は現在のニセコ町で比羅夫は平安初期の阿部比羅夫の名前から地名が付けられています。
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初めて見たる小樽 石川啄木 PDFで視聴 wiki 参考情報リンク  

石川 啄木(いしかわ たくぼく)
1886-1912。詩人、歌人、評論家。本名一(はじめ)。岩手県の僧家に生まれる。与謝野鉄幹の知遇を得、詩人としてデビュー。代表作に、詩集『あこがれ』(1905)、歌集『一握の砂』(1910)など。『小樽日報』の記者時代に野口 雨情と同僚。大逆事件を契機に社会主義思想に目ざめたが、肺疾患と窮乏のうちに死んだ。

作品について:初めて見たる小樽
『小樽日報』の記者時代の随筆。野口 雨情と同僚だった。小樽に来るにあたって「八月二十五日夜の大火は、函館における背自然の悪徳を残らず焼き払った天の火である。予は新たに建てらるべき第二の函館のために祝福して、秋風とともに焼跡を見捨てた。」と意外と冷たいが啄木も窮していたための思いもある。
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雪中行 石川啄木 PDFで視聴 wiki 参考情報リンク  

石川 啄木(いしかわ たくぼく)
1886-1912。詩人、歌人、評論家。本名一(はじめ)。岩手県の僧家に生まれる。与謝野鉄幹の知遇を得、詩人としてデビュー。代表作に、詩集『あこがれ』(1905)、歌集『一握の砂』(1910)など。大逆事件を契機に社会主義思想に目ざめたが、肺疾患と窮乏のうちに死んだ。

作品について:『小樽日報』の記者時代らしい。話の内容からすると明治40年(1907年)あたりの話となる。小樽から旭川を通って釧路にいく汽車旅行で野幌のレンガ餅、新聞で夕張炭坑の事故、砂川の空知屯田兵村(明治37年屯田兵制度は廃止になっている)の情景が描写されている。神居古潭駅では砂金採取所へ八町などの標識が有り旭川停車場まえの宮越屋旅館に宿泊し人と待ち合わせている。旭川の戸数は6000戸以上と記述が有る。

旭川に着く前に岩見沢の姉のところに泊まっているので義兄は岩見沢駅で働いていたと推測される。現在でも岩見沢は日本一大きな鉄道の構内面積を誇っているが当時の石炭輸送が岩見沢を経由して手宮(小樽)、室蘭、苫小牧に行われていた名残で明治40年には整備されていたはずだ。国策で作られた鉄道だが明治22年にいったん北海道炭礦鉄道に譲渡され明治32年(1899年)に国有化されている。

旭川で話は終わっている。
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