ハイビジョン映像日記 歴史映像年表
Hitachi-Ota Hi-Vision Diary's Historical Data Base Ver.1.31 (2016/2/15)

Years ★☆★ Years 



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 991年
正暦2年9月16日 - 一条天皇の生母・皇太后藤原詮子が出家し后位を降りたのに伴い、「東三条院」の号を定めて詮子を上皇に准ずる(=女院の初例) 
 990年
永祚2年1月25日 - 一条天皇に従二位内大臣・藤原道隆の娘藤原定子が入内する 
永祚2年10月5日 - 定子が立后される。太皇太后は冷泉天皇の后昌子内親王、皇太后は一条天皇の母藤原詮子、中宮(皇后)は円融上皇の后藤原遵子と、三后の位が全てふさがっていたため、遵子が「皇后宮」、定子が「中宮」と称される(=皇后・中宮並立の初例) 
 989年
新潟焼山が大噴火 
 988年
尾張国守・藤原元命が郡司・百姓らに非法を訴えられる(尾張国郡司百姓等解文) 
 986年
寛和2年6月23日 - 花山天皇が譲位し、第66代天皇・一条天皇が即位 
 984年
永観2年10月10日 - 円融天皇が譲位し、第65代天皇・花山天皇が即位 
 983年
太平御覧の成立 
 978年
太平広記の成立 
 975年
尊子内親王が斎院を退下、選子内親王が新たな斎院に卜定される 
 969年
★★★★★ 安和の変 ★★★★★

安和2年9月23日 - 冷泉天皇が譲位し、第64代天皇・円融天皇が即位 
 967年
康保4年10月11日 - 第63代天皇・冷泉天皇が即位 
 965年
京都で大地震の記録。以後2ヶ月にわたり余震が続いた(日本記略後編四) 
 960年
天徳4年3月30日 - 天徳内裏歌合が行われた 
天徳4年9月23日 - 日本の首都、平安京の内裏全焼(794年の遷都後初) 
 958年
乾元大宝を鋳造 - 最後の皇朝十二銭 
 951年
後撰和歌集が完成 
大和物語が完成 
醍醐寺の五重塔が建立される 
 946年
天慶9年4月28日 - 朱雀天皇が譲位し、第62代天皇・村上天皇が即位 
伊勢物語が完成 
 941年
藤原純友の乱が小野好古らによって鎮定される 
 940年
平将門の乱が平貞盛、藤原秀郷によって鎮定される 
 939年
★★★★★ 藤原純友の乱が発生 ★★★★★

平将門、新皇を称する 
藤原純友の乱が発生 
 935年
★★★★★ 平将門の乱が発生 ★★★★★

平将門の乱が発生 
 934年
承平4年12月21日 - 紀貫之が「土佐日記」の旅に出立 
 932年
令外官として追捕使を新設 
 930年
延長8年6月26日 - 清涼殿落雷事件 
延長8年9月22日 - 醍醐天皇が譲位し、第61代天皇・朱雀天皇が即位 
藤原忠平が摂政となる 
 927年
延喜式が完成 
 926年
★★★★★ 渤海国滅亡 ★★★★★

遼の耶律阿保機、渤海国を滅ぼす 
 916年
延喜15年12月8日 - 受領功過定が宣旨により開始される 
 915年
十和田湖火山の大噴火が起きる。火砕流や泥流で北東北地方は未曾有の自然災害となる(『扶桑略記』) 
 907年
延喜通宝を鋳造 
延喜格が完成 
 905年
紀貫之らが「古今和歌集」を編集 - 最初の勅撰和歌集 
 902年
延喜の荘園整理令(班田制の終了) 
 901年
日本三代実録が完成 
菅原道真が右大臣から大宰権帥に左遷 
 900年
竹取物語が完成 - 日本最古の伝奇物語 
 897年
寛平9年7月3日 - 宇多天皇が譲位し、第60代天皇・醍醐天皇が即位 
 895年
王臣家の私稲出挙を禁ずる 
五位以上と孫王の畿外へ出ることを制限する 
 894年
菅原道真を遣唐大使とする。菅原道真の意見により遣唐使が廃止される 
 893年
新羅の賊、肥前・肥後国を襲う(寛平の韓寇) 
新羅人長門国に漂着する 
 892年
日本三代実録 編纂始まる 
菅原道真「類聚国史」撰修する 
 891年
諸司王臣家の使いが貢調郡司より官私物を責取ることを禁じる 
不動穀の支出の使い遺しを返納させる 
菅原道真が蔵人頭とする 
 890年
寛平大宝を鋳造する 
返抄未提出の貢調郡司の解任期限を定める 
前司(前任国司)の任終年の調庸雑物未進は後任国司に返済させる 
 889年
★★★★★ 桓武平氏発祥 ★★★★★

東国の賊首物部氏永、蜂起する 
桓武天皇の曾孫高望王等に平姓を与える(桓武平氏)  この時代に臣籍降下し源氏や平氏が量産された理由は朝廷の経費的な問題であったとされている。高望王はその後、関東に土着し東国は一時、平氏で埋め尽くされ、この系統から後に忠盛・清盛の伊勢平氏が出ている。この時代の東国は俘虜の怨乱と呼ばれる時期で争乱が相次いだ。ところが平氏や源氏がたいした兵も用いていないのに関東に下向したことで劇的に治安が回復している。恐怖か?シンパシーか?武士の成立期には面白い現象がみられる。それは貴種と言う事で荒くれ者を統率出来るのかという疑問である

信濃川流域(長野県内)で洪水被害 
 888年
讃岐守菅原道真、降雨を阿野郡城山神に祈る 
信濃川流域(長野県内)で洪水被害 
 887年
★★★★★ 阿衡事件 ★★★★★

諸国大地震(仁和地震) 
仁和3年8月26日 - 光孝天皇が崩御。定省王が立太子して践祚し、第59代天皇・宇多天皇が即位 
仁和3年11月21日 - 藤原基経が初の人臣関白に就く 
阿衡事件(阿衡の紛議) 
 886年
安房国(上総、下総)で大地震及び降灰(日本三代実録8月4日)の記述)、新島向山の噴火に比定する説が有力 
美濃国で斑田(口分田)実施される 
 885年
肥前国に来着した新羅使を帰国させる 
薩摩国の開聞岳が大噴火 
 884年
元慶8年2月4日 - 陽成天皇が譲位。時康親王が践祚して第58代天皇・光孝天皇が即位 
令外官として関白を新設 
 883年
渤海使入京して天皇に拝謁する 
筑後守、部下に殺される 
 882年
渤海使、能登国に来着する 
嵯峨野を禁野とし、禁野の制を厳しくする 
 881年
肥前国で斑田(口分田)実施される 
渤海使、能登国に来着する 
在原行平が奨学院を創立 
 880年
筑後国で斑田(口分田を分ける) 
出雲国大地震(三代実録巻三八) 
山城国、京都に大地震。大極殿をはじめ皇居に大きな被害(三代実録巻三八) 
 879年
出羽国より援軍撤退する(元慶の乱の終焉) 
肥後国鞠智城の兵舎の戸が自ら鳴る(『日本三代実録』元慶三年三月十六日条 
日本文徳天皇実録が完成する 
京畿内に斑田。畿内に官田4千町を置き公用に充てる(元慶官田) 
 878年
★★★★★ 元慶の乱の勃発 ★★★★★

50年ぶりに畿内に校田を行う 
出羽国の夷俘反乱し、秋田城等を焼く(元慶の乱の勃発) 
陸奥国・上野国・下野国より出羽国へ援軍を送る 
春から夏にかけて、前年以来の旱魃により飢饉となる 
秋田城下の反乱の夷俘相次いで投降する 
令外官として押領使を新設を新設 
 877年
唐商、台洲より多治安江らを載せ筑前国に来着する 
入唐僧智聡、帰国する 
 876年
肥前国松浦郡の庇羅・値嘉両郡を2郡とし、値嘉島とする 
京内の6年以上計帳を出さない戸の口分田を収公する 
貞観18年11月29日 - 清和天皇が譲位。貞明親王が践祚し、第57代天皇・陽成天皇となる 
 875年
下総国の俘囚反乱し、隣国に鎮圧させる 
出羽国、渡島の狄(えびす、蝦夷)の秋田郡等への来襲を報告する 
 874年
薩摩国開聞岳噴火。付近の集落(橋牟礼川遺跡)に降灰等の被害 
唐の商人、肥前国に来着する 
在京諸司の交替を厳格に行わせる 
聖宝が醍醐寺を創建 
 873年
★★★★★ このころ清和天皇 第七皇子 貞純親王が誕生(清和源氏の祖)★★★★★

筑前国に警固田・府儲田を置く 
広隆寺資財帳できる 
 872年
貞観寺田地目録帳できる 
官物出納の罪の国司連座を止めさせる 
 871年
鳥海山噴火。土石流または泥流が海域に達する(日本三代実録巻二〇) 
京都洪水により、賀茂川堤防での水・陸田の耕作を禁ずる 
貞観式を施行する 
 870年
貞観永宝を鋳造する 
新羅人20人を陸奥国等に配置する 
29か条の制を出す 
 869年
貞観11年2月1日 - 貞明王(後の第57代天皇・陽成天皇)が立太子 
新羅海賊、博多津の豊前国貢調船を略奪する(貞観の韓寇) 
貞観11年5月26日 - 東北地方で貞観地震が発生 
続日本後紀が完成する 
貞観格施行する 
 868年
日本三代実録巻一五によれば、毎月のように地震、特に7月から8月には連日地震。特に、旧暦7月8日には播磨国で官舎、諸寺堂塔ことごとく頽倒の記録 
円珍を延暦寺座主とする 
 867年
前年の干魃により左右京に常平所を置き官米を売る 
伊予国宮崎村の海賊追補を命ずる 
 866年
★★★★★ 応天門の変 ★★★★★

藤原良房が摂政となる 
応天門焼亡の罪で伴善男を流罪にする(応天門の変) 
 865年
前年末より春、阿蘇神霊池沸騰する 
御霊会と称して私に人を集めることを禁ずる 
 864年
京畿内の出挙を復活する 
富士山の貞観大噴火 
市人が諸司諸院諸家に仕えることを禁止する 
 863年
京畿内に咳病流行する 
生益奴卑の父母名を計帳に注させる 
 862年
京畿内の出挙を停止し、田租を増し、租稲を雑用に充てる 
山陽道・南海道諸国等に海賊追補を命じる 
 861年
陸奥国・出羽国より国外に馬を出すことを禁ずる 
直方隕石が落下 
武蔵国の郡ごとに検非違使を置く 
 860年
大隅国の吉田・野神の2牧を廃止する。諸国の禁野での狩猟を禁ずる 
酉陽雑俎の成立 
南信州に『光前寺』が開山 
清和天皇が石清水八幡宮の社殿を造営  
【 石清水八幡宮 】→


 859年
藤原良相、一族困窮者救済のため崇親院・延命院を造る 
饒益神宝を鋳造する 
粗悪な調庸物を貢進する国司を罰する 
 858年
★★★★★ 清和天皇が即位(清和源氏の始祖) ★★★★★

京中の洪水により穀倉院等の米穀・塩を窮民に与える 
円珍帰国する 
文徳天皇が崩御。惟仁親王が践祚し、第56代天皇・清和天皇が即位  
【 清和天皇水尾山陵と貞純親王 】→


 857年
藤原良房が太政大臣となる 
京・平城の群盗を捕獲する 
 856年
大宰府、漂流した新羅人30人を帰国させたことを報ずる 
 855年
陸奥奥地の俘囚を警備するため、兵2千人遣わす 
戸籍未登録者の京畿内での登録を禁ずる 
地震により、東大寺盧舎那仏像の頭部が落下 
 854年
陸奥国の農民、凶作により困窮し、兵士逃亡する 
 853年
京畿内・畿外の天然痘流行の地の庸調の未納を許し、医薬を与える 
円珍、唐商船で唐へ出発する 
 852年
諸国の国司・郡司に池堰を修築し、農業を催勧させる 
 851年
天下の諸神に一律に位階を授ける 
清涼殿を移して、嘉祥寺の仏堂とする。 
 850年
仁明天皇が崩御。道康親王が践祚し、第55代天皇・文徳天皇が即位 
富豪の山野占有を禁止する 
天皇の外祖父故左大臣藤原冬嗣に太政大臣を追贈する 
惟仁王(後の第56代天皇・清和天皇)が立太子 
 849年
諸国の米価を改める 
大宰府、豊後権守登美直名の謀反を報ずる 
 848年
山城・河内・和泉等の斑田使を任命する 
大洪水により河陽橋・宇治橋・茨田堤らが損壊する 
長年大宝を鋳造し、旧銭と併用する 
 847年
円仁、唐人を連れて帰国する 
橘嘉智子・橘氏公姉弟、学館院を創設する 
 846年
畿内諸国に諸家の氏姓の出自と皇胤を調査させる 
西大寺講堂焼ける 
 845年
大宰府、新羅人の来着を報ずる 
 844年
在唐の円仁・円載らに黄金を与える 
畿内斑田使を任命する 
 843年
畿内校田使を任命する 
前筑前守文室宮田麻呂の謀反発覚して、伊豆に配流される 
 842年
★★★★★ 承和の変 ★★★★★

伴健岑・橘逸勢ら謀反の疑いで捕らえられる承和の変。伴健岑ら配流される 
前豊後介中井王、私田を営み、百姓を苦しめたため、、本郷に送還される 
道康王(後の第55代天皇・文徳天皇)が立太子 
 841年
大宰府の曹140人を対馬の防人に宛てる 
長門国、渤海使の来着を報じる 
 840年
改正した格式を施行する 
初めて清涼殿で灌仏を行う 
日本後紀が完成 
 839年
諸国に庚午年籍を写させる 
遣唐使藤原常嗣ら大宰府に帰着する 
 838年
畿内の群盗を左右衛門府の府生・看督らに逮捕させる 
大和の富豪の資財を困窮者に貸し出させる 
伊豆諸島神津島の天上山が噴火 
 837年
遣唐使、大宰府へ向かう 
遣唐使再び遭難して壱岐島・値賀島に漂着する 
 836年
遣唐使、難波より出発する 
遣唐使遭難して肥前・対馬に漂着する 
 835年
承和昌宝を鋳造する 
 834年
藤原常嗣・小野篁らを遣唐使に任ずる 
畿内の斑田を12年に1度に改める 
 833年
清原夏野ら「令義解」を作る 
淳和天皇が譲位。正良親王が践祚し、第54代天皇・仁明天皇が即位 
諸国に米穀の売買を行わせる 
 832年
播磨の明石魚住泊を造る 
伊予の守護河野息利(かわのやすとし)に子、息方(やすかた)が生まれる。(石手寺) 
正税の欠負未納を公廨利稲の1割で毎年国司に補填させる 
 831年
山城・河内両国に氷室を増置する 
大宰府に新羅人の交易物を監督させる 
 830年
出羽国秋田で大規模な地震が発生(日本後紀巻第卅八) 
藤原三守ら格式を撰上する(弘仁格式) 
新撰の神祇・八省・弾正・左右京・春宮・勘解由・六衛・左右兵庫格式を施行する 
 829年
諸国に灌漑用水車を作らせる 
校斑田(口分田を調査すること)のために国司の下に書生等を雇い宛てる 
 828年
渤海人100人余が但馬に来着する 
空海、綜芸種智院を創設する 
 827年
延暦寺戒壇院設立を認める 
京中の空閑地・荒廃地を払い下げる 
 826年
和泉に池5カ所を築く 
上総・常陸・上野を親王任国とし、国守を太守と称する 
 825年
葛原親王の子高棟王に平姓を与える 
渤海使、隠岐に来着する 
 824年
新羅人54人を陸奥国に配し、口分田を与える 
渤海使の来日を12年に一度とする 
多禰国が大隅国に編入 
 823年
大宰府管内諸国の公営田制を実施する 
嵯峨天皇が譲位。大伴親王が践祚し、第53代天皇・淳和天皇が即位 
正良王(後の第54代天皇・仁明天皇)が立太子 
 822年
新羅人40人、帰化する 
 821年
空海、讃岐の万濃池をつくる 
渤海使来る 
藤原冬嗣が勧学院を創立する 
 820年
弘仁11年 遠江・駿河両国の新羅人700人が反乱を起こす(弘仁新羅の乱) 
弘仁格式を施行する(嵯峨天皇が藤原冬嗣に編纂させた) 
 819年
弘仁10年 畿内の富豪の貯財を調査し困窮者に貸し出させる 
渤海使来る 
 818年
弘仁9年 長門国司を鋳銭使とする 
宮中の殿舎・諸門の名を唐風に改める 
富寿神宝を鋳造する 
 817年
弘仁8年 新羅人177人、帰化する 
久慈郡の人、長幡部福長女、節行をもって位を授けられる(常陸太田市史) 
 816年
弘仁7年 渤海使帰国する 
鋳銭司を廃止する 
令外官として検非違使を新設 
 815年
★★★★★ 金砂神社小祭礼が始まる ★★★★★

弘仁6年 平安京の客館の荒廃を調査する 
国司の任期を4年に改める 
この頃、金砂神社小祭礼が始められたと伝えられる(水府村史)  
【 第199回 西金砂神社小祭礼 】→


 814年
弘仁5年 この頃、出雲に俘囚荒橿の乱起きる 
斑田(口分田)を督励する 
 813年
弘仁4年 新羅人110人、肥前小値賀島に来着し、島民と戦う 
万多親王ら、新撰姓氏録を撰上する 
 812年
弘仁3年 国司が公廨田の外に水陸田を営むことを禁止する 
大輪田泊を改築する 
駅制の整理により山田駅(松平・藤田説)、雄薩駅(小里・大里説)、田後駅を新設(水府村史) 
 811年
弘仁2年 陸奥に和我・斯波・稗縫の3郡を置く 
征夷将軍 文室綿麻呂ら戦果を報じ、蝦夷の移配を要請する 
 810年
★★★★★ 薬子の変 ★★★★★

大同5年 薬子の変 
 809年
嵯峨天皇即位 
 807年
大同2年 諸国の采女貢上を停止する  円仁や坂上田村麻呂に関連した伝承で、この年号がよく使われる。東北各地の神社の創建に関する年号や、尾太鉱山が発見された年号にも使われている。三湖伝説にもこの年号が使われており、「何らかの物事が起きた年」という説がある。

勝道上人、二荒山で降雨を祈る(金砂郷村史) 
 806年
平城天皇即位 
大同元年 このころ西金砂山に山岳寺院が開かれたという(金砂郷村史) 
東・西金砂神社・武生神社、この頃建立と伝えられる ★映像(水府村史)  
【 坂上田村麿伝説 武生神社 】→


 805年
延暦24年 遣唐使帰国して唐の情勢を伝える 
坂上田村麻呂、清水寺を建立する 
 804年
延暦23年 坂上田村麻呂を再び征夷大将軍に任命する 
遣唐使藤原葛野麻呂らに空海・最澄ら同行する 
 803年
延暦22年 坂上田村麻呂、陸奥国に志波城を築く 
 802年
延暦21年 坂上田村麻呂に陸奥国・胆沢城を築かせる。後に鎮守府を置く 
蝦夷の首長大墓公阿氏流為ら降伏する 
 801年
延暦20年 征夷将軍坂上田村麻呂陸奥へ向かう 
 800年
延暦19年 王臣家等の山林独占を禁止する 
故早良親王を崇道天皇と追称する 
 798年
延暦17年 大伴麻呂を遣新羅使に任命する 
渤海使の来日を6年に一度とする 
 797年
延暦16年 菅原道真ら続日本紀を完成させ撰進する 
令外官として勘解由使を置く 
坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命する 
 796年
延暦15年 隆平永宝を鋳造する 
東寺・西寺・鞍馬寺が創建される 
 795年
延暦14年 征夷大将軍大伴弟麻呂ら凱旋する 
この頃、大極殿落成する 
 794年
★★★★★ これより平安時代が始まる ★★★★★

延暦13年 都を平安京に移す 
令外官として征夷大将軍を新設 
黒前神社創建と伝えられる(里美村史) 
 793年
延暦12年 平安京の建設、大規模に始まる 
 792年
延暦11年 陸奥・出羽・大宰府管内等を除く全国の兵士を廃し、健児を置く 
京畿に斑田(口分田)を行う 
常陸国の健児の人員200人で、全国第二位を示す(水戸市史) 
 791年
延暦10年 吉備真備らの制定した律令24条を施行する 
大伴弟麻呂を征夷大使に、坂上田村麻呂らを副使に任ずる 
 790年
延暦9年 蝦夷征伐のため、諸国に武具・軍糧を備えさせる 
 789年
延暦8年 征夷将軍、政府軍の退廃を報告する 
伊勢・美濃・越前の三関を廃止する 
 788年
延暦7年 東海・東山二道・坂東諸国より歩騎5万人余を動員し、多賀城に集める 
征東大使(将軍)紀古佐美、征夷のため出発する 
 787年
延暦6年 王臣家・国司等に蝦夷との交易を禁ずる 
 786年
延暦5年 国司・郡司に地方行政の引き締めを命ずる 
東海・東山2道に軍備を点検させて、蝦夷討伐を準備する 
 785年
★★★★★ 藤原種継暗殺事件 ★★★★★

延暦4年 造宮に延べ31万4千人の役夫を雇う 
藤原種継、大伴継人らにより暗殺される 
早良親王廃太子 
廃太子、淡路に流される途中で没する 
 784年
延暦3年 遷都のため、藤原種継等を山背国長岡村に派遣する 
長岡京に遷都する 
 783年
延暦2年 田宅寄進売買による寺領の拡大を禁止する 
京内諸寺に銭財出挙の際の利息の取り過ぎを禁止する 
 782年
天応2年 造宮・勅旨2者、銭鋳司を廃止する 
大伴家持を陸奥守鎮守将軍として、蝦夷討伐を準備する 
吉田薬王院このころ開基される(水戸市史) 
 781年
天応元年 美雲の瑞祥により改元 
中宮職を置く 
持節征東大使藤原小黒麻呂、蝦夷征討を終えて帰京する 
桓武天皇即位 
 780年
宝亀11年 陸奥の覚幣(下が巾でなく魚)城を造る 
陸奥国伊治郡司の伊治皆(下が口)麻呂、反乱を起こし、按察使紀広純を殺す 
 779年
宝亀10年 新旧両銭の等価並行を許す 
国司の出挙利稲着服を禁止する 
 778年
宝亀9年 渤海使、遣渤海使と越前に着く 
遣唐使、唐使と肥前・肥後・薩摩等に着く 
 777年
宝亀8年 高麗殿継らを遣渤海使に任ずる 
陸奥・出羽の軍、出羽の蝦夷に破れる 
令外官として内大臣を新設 
佐伯今毛人らを遣唐使に派遣 
 776年
宝亀7年 出羽国、志波村の蝦夷と戦うことを報ずる 
陸奥国、胆沢の蝦夷と戦う 
 774年
宝亀5年 歴任5年以上の員外国司を停廃する 
 773年
宝亀4年 常平(物価調整)の法を定める 
渤海使、能登に来着する 
 772年
宝亀3年 内賢省を廃止する 
新旧両銭を等価にし、新銭のみを行う 
寺院以外の開墾の禁を解除する(加墾禁止令の撤廃する) 
 771年
宝亀2年 渤海使、出羽に来着する 
左右平準所を廃止する 
 770年
神護景雲4年 弓削道鏡が失脚し、下野に配流される 
和気清麻呂らを召還する(宇佐八幡宮神託事件) 
光仁天皇即位 
 769年
★★★★★ 宇佐八幡宮神託事件 ★★★★★

神護景雲3年 陸奥の伊治城・桃生城に坂東の民を移す 
由義宮を西京、河内国を河内職と改める 
宇佐八幡宮神託事件 
 768年
神護景雲2年 筑前の怡土城完成する 
春日神社が春日大明神として開幕 
 767年
天平神護3年 法王宮職を置く 
内賢省を置く 
陸奥に伊治城を築く 
 766年
天平神護2年 員外国司の赴任を禁止する 
道鏡、法王となる 
 765年
天平宝字9年 寺院以外の墾田開発を禁止する 
神功開宝を鋳造し、旧銭と並行する 
道鏡、太政大臣禅師となる 
 764年
★★★★★ 恵美押勝(藤原仲麻呂)の乱 ★★★★★

天平宝字8年 東海道節度使を廃止する 
恵美押勝の乱 
淳仁天皇を廃して淡路に配流する 
常陸地方に早害があり、疫病が流行する(水戸市史) 
称徳天皇(孝謙天皇の重祚)即位 
 763年
天平宝字7年 山陽・南海2道の節度使を廃止する 
この頃、各地に正倉火災しばしば起こる 
 762年
天平宝字6年 孝謙上皇、恵美押勝の擁する淳仁天皇を非難して、国政の大事を掌握する 
この頃、勅旨田を置く 
 761年
天平宝字5年 東海・南海・西海3道に節度使を置き、兵船・兵士を動員する 
 760年
天平宝字4年 藤原恵美押勝を太師(太政大臣)に任ずる 
神銭万年通宝・銀銭大平元宝・金銭開基勝宝を鋳造する 
 759年
★★★★★ 渤海(698-926年)との国交正常化なる ★★★★★

天平宝字3年 常平倉を置き、左右平準署に掌握させる 
渤海使朝貢。天皇よりその勤誠を褒める詔。 
新羅征伐のため、北陸・山陰・山陽・南海諸道に、3年以内に船500艘を造らせる 
 758年
天平宝字2年 60歳以上を老丁、65歳以上を耆老と改める 
陸奥に桃生城、出羽に雄勝城を築く 
東大寺大仏殿竣工 
淳仁天皇即位 
 757年
★★★★★ 橘奈良麻呂の変 ★★★★★

天平宝字元年 養老律令施行する 
18~21歳を中男に、22歳以上を正丁に改める 
藤原仲麻呂殺害の謀議発覚し、橘奈良麻呂・大伴古麻呂ら多数処刑(橘奈良麻呂の変) 
右大臣藤原豊成を大宰員外帥に左遷 
 756年
天平勝宝8年 左大臣橘諸兄が失脚 
筑前の怡土城を築く 
 755年
天平勝宝7年 久自の防人、丸古部佐壮ら筑紫に赴任する(常陸太田市史) 
 754年
天平勝宝6年 遣唐使大伴古麻呂、唐僧法進ら8人を伴い、帰国する 
双六を堅く禁断する 
 753年
★★★★★ 授戒による戒律制度の確立 ★★★★★

天平勝宝5年 鑑真の来日(律宗) 
 751年
天平勝宝4年 東大寺盧舎那仏像の開眼法要が行われ、完成 
東大寺正倉院が創建 
天平勝宝3年 懐風藻が完成 - 現存する最古の漢詩集 
 749年
天平21年 陸奥国、黄金を献上する 
孝謙天皇即位 
 747年
天平19年 封戸から徴収する租庸調などの数量の基準を定める 
 746年
天平18年 寺家が土地を買うことを禁止する 
諸寺が百姓墾田・園地を買うことを禁止する 
 745年
天平17年 紫香楽宮の周辺に火事が多発する 
聖武天皇、紫香楽宮から平城京に遷都する 
大宰府を復活する 
 744年
天平16年 難波宮を皇都とする 
造兵・鍛冶2司を廃止する 
恭仁京から難波宮、続いて紫香楽宮に遷都 
 743年
天平15年 墾田を私財とし、位階に応じた面積の所有を認める(墾田永年私財法) 
盧舎那仏金銅像の造立を発願する(大仏造立の詔) 
近江国の紫香楽村に離宮を造立する 
 742年
天平14年 大宰府を廃止する。 
 741年
天平13年 天皇、恭仁宮で朝賀を受ける 
国分寺建立の詔 
 740年
★★★★★ 藤原広嗣の乱 ★★★★★

天平12年 藤原宇合長男、藤原広嗣の乱 
平城京から恭仁京に行幸する 
 738年
天平10年 橘諸兄が右大臣に昇進し吉備真備、玄ボウ 等が政権の中枢に 
箱根温泉が掘り当てられる 
このころ常陸国から260余人の防人が九州太宰府におもむく(水戸市史) 
宇治部氏が那賀の郡司を世襲する(水戸市史) 
 737年
★★★★★ 藤原四兄弟が天然痘で死亡 ★★★★★

天平9年 天然痘の流行により藤原四兄弟が死亡[武智麻呂(南家開祖)・房前(北家開祖)・宇合(式家開祖)・麻呂(京家開祖)] 
陸奥に牝鹿柵を築く 
横浜に弘明寺が創建される 
 733年
天平5年 出羽に秋田城を築く 
 731年
天平3年 令外官として参議を新設 
 729年
★★★★★ 長屋王の変 ★★★★★

神亀6年 長屋王の変  神亀6年(729年)2月、漆部君足(ぬりべのきみたり)と中臣宮処東人が「長屋王は密かに左道を学びて国家を傾けんと欲す。」と密告があり、それをうけて藤原宇合らの率いる六衛府の軍勢が長屋王の邸宅を包囲し、舎人親王などによる糾問の結果、長屋王はその妃吉備内親王と子の膳夫王らを縊り殺させ服毒自殺した

光明皇后が皇室以外で初めて皇后となる 
 727年
神亀4年 北部(天下野・高倉)は50戸にみたぬため「余部」郷に編入される(水府村史) 
 724年
神亀元年 陸奥に多賀城を築く  別雷皇太神(水戸市)由緒書によると第四十五代聖武天皇神亀元年(西暦724年)のとき、常陸国主藤原宇合(フジワラノウマカイ)は、勅命によって蝦夷征伐におもむく際、東北地方鎮護の神として、京都の「加茂別雷神社」の御分祀を当地に祀ったことが当社の創始とある

聖武天皇即位 
 723年
養老7年 三世一身法を制定 
このころ、常陸地方、蝦夷対策上、重要な地位を占める(水戸市史) 
 722年
養老6年 百万町歩開墾計画 
 721年
★★★★★ 常陸国風土記完成 ★★★★★

養老5年 常陸国風土記完成 
 720年
★★★★★ 日本書紀が完成 ★★★★★

養老4年 日本書紀が完成 
 719年
養老3年 令外官として按察使を新設 
藤原宇合、常陸国主となる(金砂郷村史) 
 718年
養老2年 養老律令制定(施行は757年) 
世界最古の旅館である法師が創業 
陸奥国、常陸国、石城国、石背国を整備する(大子町史) 
 717年
養老元年 玄ボウ、吉備真備、阿倍仲麻呂ら557人を遣唐使に派遣 
 715年
霊亀元年 郷里制施行により「里(50戸)」は「郷」となり、南部は「山田郷」となる(水府村史) 
元正天皇即位 
 713年
和銅6年 風土記の編纂を諸国に命ずる 
この頃 山田地区の開墾盛んに行われる(水府村史) 
 712年
★★★★★ 古事記が完成 ★★★★★

和銅5年 古事記が完成 
出羽国を新たに設置 
 711年
和銅4年 伏見稲荷神社建立 ★映像  




 710年
★★★★★ これより奈良時代が始まる ★★★★★

和銅3年 平城京(奈良)に遷都 
 708年
★★★★★ 日本最古の通貨 ★★★★★

和銅元年 和同開珎を鋳造 
出羽に出羽柵を築く 
 702年
大宝2年 大宝律を全国に頒布 
度器、量器を初めて全国に頒布 
薩摩の隼人征討 
役小角が金砂山を草創 ★映像  
【 歩く歩くの西金砂小祭礼 第198回編 】→


 701年
★★★★★ 法治国家としての本格的な律令が制定 ★★★★★

大宝元年 大宝律令が完成 
 699年
文武天皇3年 役小角、伊豆に配流 
夜久(現在の屋久島)、奄美(奄美大島)から来貢 
越智崗上陵(斉明天皇陵)及び山科陵(天智天皇陵)造営 
 698年
文武天皇2年 日本各地に疫病が流行。文武天皇、薬を支給し救援。 
藤原姓を名乗れるのは藤原不比等に限られ、その他の藤原氏は旧姓である中臣姓に戻す詔 
朝儀の礼が定められる 
 697年
文武天皇即位 
 694年
持統天皇8年 大宅朝臣麻呂らを鋳銭司に任命 
金光明経100部を諸国に配布 
三野王、大宰率に任命 
藤原京に遷都 
 693年
持統天皇7年 全国に対し、桑・梨・栗などの植物を植えることを奨励 
官人の間で汚職事件発生。関与した者を解任・降格の処分 
近江野洲郡で鉱泉が湧く 
 690年
持統天皇3年 持統天皇、双六を禁止 
官人の朝服が新しく切り替わる 
 689年
持統天皇3年 人民を大極殿に朝賀させる 
防人を任期制・交代制とする 
 686年
天武天皇15年 天武天皇重態。川原寺で薬師経を説かせ、僧を宮中に安居 
国に課す調を半減、徭を免除 
朱鳥元年 天武天皇崩御。第41代天皇・持統天皇が即位 
 685年
天武14年 冠位四十八階制定 
大和連など11氏に、忌寸の姓を授ける 
浅間山の噴火 
国々で家毎に仏舎を作り仏像と経典を置いて礼拝せよとの詔 
朝服の色が初めて定められる 
 684年
天武天皇13年 八色の姓を制定 
守山公・路公・高橋公・三国公・当麻公・茨城公・丹比公・猪名公・坂田公・息長公・羽田公・酒人公・山道公など13氏に真人の姓を授ける(公は「きみ」と読む) 
大三輪君など52氏に朝臣の姓を授ける 
大伴連など50氏に宿禰の姓を授ける 
ハレー彗星が観測される(日本国内では最古の記録) 
未曾有の大震災が発生し、全国的に甚大な被害 
 683年
天武天皇12年 僧に関する制度を制定、僧正・僧都・律師の位が設けられる 
銀銭を廃止し銅銭の使用を命じる 
倭直(やまとのあたい)など38氏に連の姓を授ける 
 682年
天武天皇11年 陸奥国の蝦夷22人に爵位 
服装に関する禁令を発し、従来の日本古来の冠・衣服を禁じ、中国の制度に変更 
男子の髷、女子の垂髪を禁止 
薩摩隼人、大挙して朝廷に献上のため上京、相撲を披露 
流星、虹などの異常現象や地震などが相次いで発生 
宮中での跪礼・匍匐礼を禁止、唐風の起立礼を用いる詔 
官人の考選に族姓を重んじる 
 681年
天武天皇10年 飛鳥浄御原令を制定 
 680年
天武天皇9年 薬師寺が創建される 
 675年
畿内の農民のうち歌手、芸能人、道化者を募る詔 
諸氏の部曲を廃止 
狩猟の規制、牛・馬・犬・猿・鶏の肉食を禁止する詔 
宮中に保管していた神酒を群臣に振る舞い宴会を催す 
相模国にて三つ子誕生 
 673年
天武天皇即位 
 672年
★★★★★ 日本古代最大の内乱 ★★★★★

弘文天皇即位(明治天皇による追贈) 
天武天皇元年 壬申の乱 
 670年
天智天皇9年 庚午年籍が作成される 
 669年
天智天皇8年 中臣鎌足に大織冠と大臣の位を授け、藤原の姓を与える 
 664年
天智天皇3年 冠位二十六階を制定。氏上・民部・家部を定める 
唐の使人らが来日 
対馬・壱岐・筑紫に防人と烽を設置し、筑紫に水城を築く 
 663年
★★★★★ 唐・新羅連合軍に白村江で大敗 ★★★★★

天智2年 阿倍比羅夫ら、新羅征討のため出発 
白村江の戦い 
百済が降伏、人民が相次いで日本へ逃れる 
 661年
斉明天皇7年 斉明天皇、百済救済のため自ら船団に乗り筑紫へ出港 
斉明天皇崩御。第38代天皇・天智天皇が即位 
 660年
斉明天皇6年 中大兄皇子、飛鳥に漏刻台を造る 
百済が唐に滅ぼされる 
 658年
斉明天皇4年 阿倍比羅夫、蝦夷・粛慎の征討開始 
 655年
斉明天皇(皇極天皇の史上初の重祚)即位 
 647年
大化3年 渟足柵を築く 
 646年
部民廃止・百官位階の制定・地方政治の方針に関する詔 
大化2年 改新の詔 
薄葬令により古墳が減少する(大子町史) 
国・郡・里の制度定まる(水戸市史) 
 645年
★★★★★ 乙巳の変(中大兄皇子、中臣鎌子らとクーデターに成功) ★★★★★

大化元年 大化の改新はじまる 
孝徳天皇即位 
難波長柄豊崎宮に遷都 
 643年
皇極天皇2年 蘇我入鹿、巨勢徳大を遣わし山背大兄王一族を滅ぼす 
蘇我蝦夷、紫冠を独断で子・入鹿に授ける 
 642年
皇極天皇即位 
 629年
舒明天皇即位 
 604年
推古12年 聖徳太子 冠位十二階制を施行する 
聖徳太子 憲法十七条を作る 
 601年
推古天皇9年 聖徳太子 斑鳩宮を建立 
 600年
推古天皇8年 日本が遣隋使(第1回)送る 
 593年
★★★★★ 東アジア初の女帝誕生 ★★★★★

推古天皇即位 
聖徳太子が摂政に就任 
聖徳太子が摂津国に四天王寺を創建(日本最古の寺 
 592年
★★★★★ これより飛鳥時代が始まる ★★★★★

崇峻天皇5年 蘇我馬子 崇峻天皇を弑逆 
 587年
★★★★★ 仏教 vs 神道の宗教戦争勃発 ★★★★★

用明天皇2年 物部守屋の変 
崇峻天皇の即位 
 585年
蘇我馬子、塔を大野丘の北に建て、盛大な法会を行う 
物部守屋、塔・仏殿を焼き、仏像を難波の堀江に捨てる 
用明天皇の即位 
 572年
敏達天皇の即位 
 550年
この頃 北九州で装飾古墳が盛行する。埴輪が畿内で衰退し、かわって関東で盛行する。西日本で群集墳が盛んに造られる (wikipedia) 
 539年
欽明天皇の即位 
 538年
宣化天皇3年 仏教公伝 
 536年
宣化天皇の即位 
 535年
この頃 屯倉を数多く置く(日本書紀) 
 531年
安閑天皇の即位 
 527年
継体天皇21年 筑紫国造・磐井が反乱 
 507年
★★★★★ 継体王朝が始まる ★★★★★

継体天皇元年 継体天皇の即位 
 500年
500年代 この頃 西日本の古墳に横穴式石室が盛行する。関東地方にも横穴式石室を持つ古墳が現れる (wikipedia) 
六世紀後半までに、水戸地方、大和朝廷の支配下に入る(水戸市史) 
このころ、常陸地方には仲・高・久自・新治・筑波・茨城などの国があり、水戸地方は当時那賀国に属する(水戸市史) 
水戸地方最大の愛宕山古墳は那珂国造の墓と伝えられる(水戸市史) 
 450年
古墳文化 この頃 梵天山古墳築造(常陸太田市史) 
 400年
古墳文化 この頃 久自国造の統治(常陸太田市史)  

【 稲村神社(常陸太田市天神林町 】→

実在の信憑性に疑問が持たれている成務天皇も常陸太田の歴史と重ね合わせると驚くべき符号の一致をみる。すなわち興原敏久(三河国造家物部氏の一族 788-849)が編集したといわれる『先代旧事本紀』の国造本紀によると成務朝に伊香色雄命(饒速日命(ニギハヤヒ)の6世孫)の3世孫の船瀬足尼が久自国造に任じられたという。

「国造本紀」に載せる国造の半数がその設置時期を成務朝と伝えている。これは諸国に令して、行政区画として国郡(くにこおり)・県邑(あがたむら)を定め、それぞれに造長(くにのみやつこ)・稲置(いなぎ)等を任命して、山河を隔にして国県を分かち、阡陌(南北東西の道)に随って邑里(むら)を定め、地方行政機構の整備を図ったわけである。現在の稲木町と天神林町は狭竹郷という荘園だった。そこから佐竹という地名が生まれたという。さらに饒速日命が天孫降臨の折に随行した天物部25部に狭竹物部が存在する。つまり船瀬足尼が国造と同族の狭竹物部の一族が稲置(いなぎ)を拝命し稲木町名が起こったと映像日記は考える。

成務天皇が実在したら4世紀の中頃だろうといわれている。存在を前提とすると長幡部の入植伝説や梵天山古墳、更には後世の継体天皇の即位などの時間軸がほぼ一致してくる。また成務天皇の異母兄弟である日本武尊の伝説が船瀬足尼の時代と同一になる。

長幡部神社の項でも説明したが継体天皇以前の暦を2倍暦説に従えば成務天皇の在位は321〜351年となり、これも崇神天皇と長幡部伝説から計算すると恐ろしく符合する


 300年
古墳文化 この頃 長幡部遠祖・多弖命が、美濃から久慈の当地へ遷した(映像)長幡部神社  
【 伝説の長幡部神社 】→
伊香色雄命(饒速日命(ニギハヤヒ)の6世孫)は崇神天皇に蛮族を制圧し国造を設置することを献策しているが、これが長幡部の移住に関連したと思われる。伝説によると祭神・綺日女命は天孫降臨に従い、その後、日向から美濃(三野)へ移り、崇神天皇の御代に、長幡部遠祖・多弖命が、美濃から久慈の当地へ遷したという(常陸国風土記 721年成立)『古事記』 (712年成立)では崇神天皇の没年を干支により戊寅年と記載しているので(崩年干支または没年干支という)、258年(または318年)没と推測する。従って250年前後という入植年代に映像日記は立っている。

また学会での支持は低いが『三國志』魏書 東夷伝 倭人にある裴松之注に引用される『魏略』逸文に「其俗不知正歳四節但計春耕秋収爲年紀」(その俗、正歳四節を知らず。ただ春耕秋収を計って年紀と為す)との倭の風俗記事があることから、1年を2倍にして年次を設定したとする2倍暦説がある。この説を継体天皇以前に導入すれば崇神天皇の在位は207〜241年となりほぼ一致する。

更に雄略天皇の在位が482〜494年と算出することができ、宋書に於いて記述されている倭王武(雄略天皇説有力)の上表文が提出された年が478年と、ほぼ一致するのだ。


 200年
古墳文化 この頃 谷河原や瑞竜などに稲作農耕が定着する(常陸太田市史) 
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