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河内源氏の登場(壷井八幡宮)佐竹氏の源流


   

4年程前に大阪に行った時に羽曳野市の壷井八幡宮を訪れた。河内源氏の本拠地として佐竹氏の始祖である源義光が誕生した所と推測している。(隣接して壷井神社がある)

ちょっとお蔵に入れすぎていた感のある動画だ。河内源氏初代の頼信は今昔物語にも多くエピソードが収録されており筆者の一番のお気に入りだ。満仲の三子として生まれ余り目立たなかったが摂関政治全盛時代の藤原道長に近接し運を開いている。

この動画は常陸太田市の戦国大名佐竹氏を辿る企画で制作している。
戦国大名佐竹氏の源流を辿る旅
https://www.youtube.com/playlist?list=PLyOrGD-8u48H2oix-RrU2GyZvBFZnhYv1&spfreload=10

羽曳野市壷井には河内源氏を代表する頼信、頼義、義家の三代が居住し平安期の東日本に多大の影響を与えた。源流を辿ると理解出来ると思うが天皇家から始まる家系であった。河内源氏はその貴種から始まる家系の中で軍事系の専門貴族であったということが言えると思う。つまり武士とは荘園を警護する用心棒や山賊のような出目ではなく貴種が専門化した武力集団というのが正解だった。

多田神社や壷井八幡宮の満仲や頼信の居宅跡を見ると常陸太田の鯨ヶ丘と非常に良く似ている。すなわち川を利用したり、小高い丘に立地し、攻め込むにも非常に難度の高い道路区画となっている。弓矢等を使っても照準が決まった途端に道路が左右に蛇行する仕組みとなっていたり大勢で一挙に攻め込む事が難しい広さとなっているのだ。これらの作りはみな恐ろしい程似ている。武系の家門にある戦術に対する共通のコンセンサスがない限りこのような居館を作ることが難しいであろうと現地で想像した。

源氏では源氏相食むということわざがあり同族間の軋轢が目立ってきたのが河内源氏以降の傾向である。これらの傾向もワンパターンがあった。郎党の土地等の諍いに主筋が否応なく巻き込まれるというパターンだ。主人が家来の領地を守らなければ離反を招きやすいと言い換えれば判りやすいのかもしれない。(ただし義光のは家督争いが絡んだ陰湿なもので業が深い)

平安期では大掛かりな反乱が目立つ。そのためスーパー古代道を使って機動力を生かしながら一族郎党を引き連れて遠隔地に行くにはそれ相応の恩賞を部下に分配しなければ足下が揺らいだのだろう。また頼義や義家の時代の戦力は地方豪族の加勢がなければ容易に勝利の計算が成り立たなかった。

自らがカリスマ性をおび、一族郎党を固め、地方豪族に加勢を求める目的合理性の整合を考え合わせると武門の棟梁は少なくとも貴種である正統性が最低の条件であったように思えてならない。




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