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桜川市 上野沼 桜満開 2013


   

桜川市上野原下新田にある上野沼にある桜 満開の模様をお届けする。

今年の桜前線は暴風のような春一番の到来で常陸太田周辺では天気の良い満足な撮影ができなかった。今年はたまたま知人の依頼で桜川市にある上野沼の撮影を行った時が満開のドンピシャの時で常陸太田では半開だったのを記憶している。

上野沼は江戸時代初期(1650年前後)に灌漑用に掘削したと伝えられている。上野原下新田は江戸時代の末期での記録では幕府領となっている。ずぅ〜っと幕領だったのかと思い1650頃の近隣の藩を調べてみたが、もし幕領ではなかったら一番該当しそうなのが地理的に笠間藩であった。ところがその頃の笠間藩は小藩で、歩いて一周30分近くかかる灌漑用の沼を掘削するほど財政的に余裕があったのかしらという疑問が残った。

つまり幕府の出先であった支配所(代官所)が予算を計上して自腹で工事したのかという話である。または従来の幕府に対するイメージでは、これらの公共工事は外様に割り振って工事をさせるという方法が一般的になりつつあったので、どこかの藩が割食ったのかなぁ〜という思いなども交錯して楽しい時間を過ごした。

2005年に誕生した桜川市の旧岩瀬町にあたる場所に上野沼がある。このあたりの上野原台地は史跡新治郡衙跡等の史跡もある(新治郡とは常陸六国と云われ昆奈羅珠命が国造りを始めて新治国と称した)鬼怒川から笠間在にかけての広い新治郡のうち郡衙から岩瀬一帯は中郡荘と云われていた。常陸風土記では日本武尊の新治の井の伝説により現在の茨城県は、「ひたちの国」の名称になったと伝えられている。

太田から桜川には瓜連→城里→国道50号→桜川で訪れたが車が少なく快適なドライブだった。これぐらいの遠出は楽だ。

撮影にご協力をいただいた、桜川市、長谷川 大紋 桜川事務所には感謝いたします。




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