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源頼義・河内源氏所縁 馬場八幡宮節分祭


   

2013年2月3日に常陸太田市馬場町にある馬場八幡宮で節分祭が開催された。

2月3日は太田駅前で汁ONEカップが開催され午後より馬場町に移動していた。ちょっとアップが遅れてしまったのは現在進めている「戦国大名佐竹氏の源流を辿って」に馬場八幡宮が関連しており構成に時間がかかってしまったからだった。動画内では馬場八幡宮の勧請先である京都府八幡市にある岩清水八幡宮をはさみこんでいる。

前回にアップした「源満仲・清和源氏武士団の登場」では清和天皇から4代目にあたる源満仲が居住した兵庫県川西市多田院の模様をお届けした。この満仲から長男の頼光は摂津源氏として、次男の頼近は大和源氏として、三男の頼信は河内源氏の祖となっている。予定では源満仲の三男であった頼信(筆者は今昔物語に多くの説話が残る頼信が一番好きだ)が本拠を置くことで河内源氏と称された壷井八幡宮(羽曳野市)の編集を、たまたま馬場八幡宮で節分祭があったために河内源氏との因縁が深い馬場八幡宮を繰り上げて編集してみた。

馬場八幡宮は頼信の息にあたる頼義が全九年の役に現在の岩手県あたりを本拠地にした安倍氏の反乱に対応して関東各地で戦勝祈願し源氏の氏神である岩清水八幡宮から御神霊を勧請したのが始まりとなっている。このとき頼義は70才で相当な覚悟をもって乱にあたろうとしていた。

この戦いでは頼義の息であった義家が参加しており父である頼義の危機を救っている。戦いは出羽国(秋田県)の清原武則の率いる約一万名の軍が参加する事で劣勢を挽回し最後に勝利を収めている。戦後に清原武則は鎮守府将軍と異例の抜擢を受け、後日、清原家の内紛により源義家が参陣した後三年の役につながる。

源頼義は前九年の役に勝利する事により河内源氏が武門の最高の格式を持つ家であるとの正統性を持つようになった。息である義家ともども神格化されていくのである。馬場町にある馬場八幡宮はそのような由緒を持つ八幡宮であり、後年、義家の弟である義光の子孫が土着して佐竹氏を称した時は代々、馬場八幡宮で元服が行われたと伝わっている。

遅れましたが節分祭の関係者のみなさま、お疲れさまでした。

さて次回は県議会で行われた第一回定例会の模様をお届けしたいと思う。茨城県教育委員会では生涯学習センターの解体の計画があり構想が議会で浮上して来た。見逃せない案件なので週末までにアップしようと思う。




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