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石清水八幡宮と馬場八幡宮


   

「戦国大名佐竹氏の源流を辿る旅」から清和源氏の信仰が篤かった京都府八幡市(やわたし)にある石清水八幡宮をお届けする。

常陸太田市馬場町の馬場八幡宮の由緒に、鎮守府将軍源頼義(河内源氏)が1056年に石清水八幡宮の神霊を平大石二枚を敷き安置して大任(前九年の役)の遂行を祈願したとある(写真をクリックすると画像が大きくなる)ついで頼義の子息にあたる陸奥守八幡太郎鎮守府将軍源義家が本社に参詣し成功を祈願した(後三年の役)1092年に義家と義家の弟である義光が戦勝記念に馬場八幡宮で流鏑馬を奉納したとある。

佐竹氏は、この河内源氏、義光流を始祖としている。コラム映像では先に紹介した六孫王と言われた源経基の子息であった源満仲の本拠であった兵庫県川西市にある摂津源氏の本拠と、その子息である源頼信、源頼義、源義家の本拠地であった大阪府羽曳野市にある壷井八幡宮をアップする予定である。この頼義にこだわるのは岩清水八幡宮が大分県宇佐市の宇佐八幡宮より860年に清和天皇の命により勧請され建立された事であり、その祭神が応神天皇と神功皇后、 比咩大神(ひめおおかみと呼ばれ宗像三女神の象徴)ということだ。

ちょっと、ややこしいのは宇佐八幡宮で応神天皇が神格化されたのは欽明天皇32年(571年)、宇佐郡厩峯と菱形池の間に鍛冶翁(かじおう)降り立ち、大神比義(おおがのひき)が祈ると三才童児となり、「我は、譽田天皇廣幡八幡麻呂(応神天皇のこと)、護国霊験の大菩薩」と託宣があったとある(扶桑略記 東大寺要録、宮寺禄事抄)

つまり大阪府羽曳野市にある応神天皇陵に眠る応神天皇が大分県の宇佐八幡宮に降臨し祭られ、分霊されて京都の岩清水八幡宮に行き、更に全国の八幡宮に勧請されたことになる。この応神天皇陵から目と鼻の先に河内源氏の本拠地である壷井八幡宮がある。その河内源氏だった頼義が石清水八幡宮から神霊を分霊したのが馬場八幡宮の始まりとなる。ところが不思議な事に応神天皇陵にある誉田八幡宮に隣接した町名が馬場町なのである。以下の動画に馬場町の町名が現れる(最後から2番目のカット)

こんな偶然はありえない(笑)もしかして平大石二枚は応神天皇陵から持ってきたのと思ったほどだった(ありえないだろうけど)町名からみるとそう思える。このあたりが実際に現場に行ってみると微妙に面白い所で、例えば応仁天皇陵にある誉田八幡宮のオフィシャルHPを見ても主祭神は応神天皇と書かれているが神功皇后、 比咩大神の名はみられない。日本最古と号すると宇佐八幡宮より古い八幡宮と言う話になる。するとスサノウ系の 比咩大神(宗像三女神)の入り込む余地がないのかなぁ〜などと思ってしまう。微妙に面白いのだ。




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