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偕楽園と常磐神社

     

月曜日の午後にカミさんの友人が秋田から水戸に来るというのでアッシーで加わった(天気は曇りである) 水戸の梅祭りが始まっており偕楽園に行く話が出来上がっていたようである(ちなみに2カット目のメガネとマスクのおばさんは筆者のカミさんではない(爆))

第114回 水戸の梅祭り
http://www.koen.pref.ibaraki.jp/park/kairakuen01.html


【衛星写真は地図をクリックして設定】

偕楽園は1841年(天保12年)7月、水戸藩第九代藩主徳川斉昭によって造園が開始され、翌年に開園した。 斉昭は、千波湖に臨む七面山を切り開き、弘道館で文武修行する藩士の休養の場とすると同時に、領民と偕(とも)に楽しむ場にしたいとして「偕楽園」と名づけた。その名の精神により当初から毎月「三」と「八」が付く日には領民にも開放されていた。この精神を引き継ぎ、日本三名園では唯一、入園無料である(ただし、前述の「好文亭」を利用する場合は有料)Wikipediaより転載...

梵天山宝金剛院で水戸藩の宗教政策をアップしたばかりなので興味を持って出かけた。梵天山宝金剛院のコラムは
http://audience.studio-web.net/HDdiarypro/diary.cgi?no=124

三大名園といわれるだけあって規模の大きいものだったが丁度前回のアップの内容と重なり違和感を感じずにいられなかった。というのも斉昭が手元不如意ということで「御領中寺院のつき鐘、銅仏をもって大砲に遊ばされたき思召」という布告を出したのが天保13年である。つまり村々の寺社から つき鐘や銅仏の没収を始めた同じ年に偕楽園は完成している。何かしらものごとには陰と陽があるものだ。

カメラは御成門→売店→好文亭を横目で見て(笑)→東門→門前の土産物店→隣接している常磐神社のコースを辿っている。

常磐神社は明治初年、徳川光圀と徳川斉昭の徳を慕う水戸藩士により偕楽園内に祠堂が建てられた。明治6年(1873年)3月に「常磐神社」の社号が、10月にそれぞれの祭神の神号が勅旨により定められた。明治7年(1874年)に現在地に社殿が造営された。明治15年に別格官幣社に列格した。ドラマ水戸黄門でおなじみの葵紋の印籠を模った印籠守を授与しており、雑誌にて掲載され問い合わせが殺到したという。Wikipediaより転載.....

常磐神社
http://komonsan.jp/

境内神社は藤田東湖神社や三木神社、常磐稲荷神社がある。偕楽園は五分咲きぐらいだったが十分に堪能出来た。次回の関連コラムは鋳造した大砲が実際に機能したのか覚え書きから探ってみたい。

いばらきインターネット放送局
第114回 水戸の梅まつり(偕楽園、平成22年2月20日〜3月31日)




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