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木造仁王像

     

下利員町(シモトシカズチョウ)の道から赤土に向かう途中に突然標識が現れた気がした。本当は薬師如来坐像というスーパーにしたかったが奥の保管庫に収納されていて撮影する事ができない(笑


【衛星写真は地図をクリックして設定】

薬師如来坐像に興味のあるかたは郷土資料館のブログでご覧下さい。
http://edu.city.hitachiota.ibaraki.jp/museum/diarypro/diary.cgi?no=44
10月17・18日の常陸太田市内の文化財集中曝涼で公開されるそうである。

今回アップした木造仁王像は「薬師堂の山門に立つ仁王像で室町時代後半の作とみられ、体は太づくりで堂々とし、欅材の木目を巧みに使用した一本造りである。」(茨城県教育庁 文化課)
http://www.edu.pref.ibaraki.jp/board/bunkazai/bz-index.htm

また収納されている薬師如来坐像は「宇治平等院鳳凰堂の本尊阿弥陀如来及び日野薬師如来の本尊薬師如来立像と同作であり、定朝様式彫刻の県内における代表的作品である。」とある。そのため国より重要文化財に指定されている。

宇治平等院鳳凰堂と言えば藤原摂関体制の頂点に達した藤原道長の息子である頼通が天喜元年(1053年)に作ったというと時代的にピンとくるだろうか?

天喜4年(1056年)鎮守府将軍将軍源頼義を奉じて、陸奥の安倍頼義鎮撫のためこの地に至り清和天皇嫡流の源氏の氏神であり伊勢神宮と共に、国家の宗廟と称されていた石清水八幡宮の神霊を平大石二枚を敷き安置し、大任遂行を祈願した。(馬場八幡宮由緒沿革より転載)

貴族政治から武家政治の変わり目は1192年の鎌倉幕府の成立からと言われているが摂関政治の頂点を極めた時期に、すでに武士は体制の重要なユニットとして存在していた事がわかる。

西光寺は真言宗の寺院だったが明治に無院となり大正時代に火災によって本堂や薬師堂が焼失してしまったという。現在は町内会によって保存されていると聞く。

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