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‪明治20年 日立物産會社(常陸太田市)‬


   

明治22年に発行された「大日本博覧絵」は脱亜入欧で近代化を遂げようとしている日本各地の産業を紹介している。常陸太田近辺でも数葉の絵図が残されている。その中から日立物産會社をお届けする。

明治18年に路上取引の取り締まり条例が厳しくなったという裏事情があったらしい(常陸太田市史)そこで久慈郡の有志が出資したという。市場の模様は同時期に発行された「太田景勝誌」にも詳しく述べられている。日立物産會社は色々な特産品を扱っていたらしいが売り上げのメインは葉タバコだったようである。明治39年に葉タバコの生産から製造まで国家の専売品になってから茨城県の産業統計から日立物産會社の名前が消えてしまっている。

明治10年に起きた西南戦争から明治27年の日清戦争のほぼ2/3にあたる明治22年「大日本博覧絵」は出版されている。日本の産業革命は日清戦争による賠償金によって大規模な産業投資がはじまったが大日本博覧絵に描かれている産業群はいったいどこから資金調達をしたのか興味がつきない。国庫の収入源泉は酒税とかの割合が多かった時代である(笑

大日本博覧絵の絵は総じて洋式風の絵画の影響を受けているようで俯瞰目線と消失点がはっきりした絵画風の絵もあり面白い。日立物産會社はそれほどのパースは効いていないが規模の大きいのがわかる。絵では若宮八幡宮に隣接した内堀町の近辺がすっぽり入るような規模となっているが、そうなのかは謎だ(笑)ともかく人が溢れ帰るほど集まっている様は壮観である(大画面、解像度アップを推奨)

またぞろ技術的な話になるが、この絵はスキャナーで取り込み大きさは3088*2053pixである。以前ふぁっしょん抄で遊んだ【最近のマロちゃん】の手法を使って構成している。
甦る着物たち (山口千恵子 ふぁっしょん抄)
http://audience.studio-web.net/HDdiarypro/diary.cgi?no=303

つまりハイビジョンサイズの1920*1080pixサイズで上記のサイズを面取りし1枚の絵から数カットを作り構成した。1回遊んでみようと思っていた自家製プラグの応用だった。最近のデジカメのサイズは大きくなっているのでまた使うと思う。本来の開発目的は数百枚の写真をスキャナーで取り込み回転角度やトリミングをして資料映像をつくる仕事があり、めんどくさいので映像編集用に設計したものだったがデジカメだとデーター処理が一回減り使用頻度は上がっている。プラグを使う事で製作時間を圧倒的に短縮するというのが絶対条件であった。

明治39年茨城縣管内全圖

ファイル 19-1.jpgファイル 19-2.jpg

今回は静止画勝負ということで(笑
(画像をクリックすると大きくなる)

佐竹氏や徳川氏等の中世から戦国、江戸期に至る史跡を調べると土地勘にうといせいかこんがらがってしまう(笑)そこで資料を探してみた。というのも国土地理院発行の地図を見ながら検証しても昭和期以降の道路が多く、なぜそこに出城があったのだろうかなどの推敲が難しいからだ。

明治39年に大阪の鍾美堂から発行された茨城縣管内全圖を見つけたので常陸太田部分をアップしてみた。

最初の画像は地名と河川、道路が配置されたもので極めておおざっぱなものである。面白かったのは二枚目の画像で各町の距離を示す里程圖が地図内にあった。(三里八丁半などと書いてある(笑))

地図の発行された年次をみると常陸太田(赤点)に鉄道が開通して7年後になる。そのため地図には水戸から太田までの鉄道が記述されている。また土木史の検証は行っていないが里程圖にかかれた交通網がほぼ中世以降と同じと想像されるので古城や史跡の位置が見やすくなった。戦略的な出城展開が解りやすくなったと思いたい。

地図をみて気がついた事が4つあった。
・鉄道網の異常な発達
・明治24年に施行のメートル法と併用して尺貫法が使用されている。
・書店の住所に電話番号が併記されている。
・河川が物資移動手段としてまだ機能していたかもしれない。
俗に文明開化というが鉄道を中心とした交通網の発達やコミュニケーションの手段としての電話が普及してきたのが伺える。また明治44年には前島平 氏と太田実業倶楽部の尽力で町屋に電灯が灯った。交通、情報、エネルギーの革命的な変化の時代だったのだ。

行灯の赤れんがと銀杏まつり(旧町屋変電所)
http://audience.studio-web.net/HDdiarypro/diary.cgi?no=91

余談だが明治37年の調査人口表があったので太田市近辺を転載する。
水戸市    35,968
東茨城郡  103,060
西茨城郡   56,785
那珂郡    109,443
久慈郡    103,622
多賀郡     56,956
鹿島郡     67,437
以下省略するが総計で1,199,205人となっていた。
ちなみに現代の水戸市の人口は264,245人で茨城県全体では2,963,486人となっている。明治期より3倍近くに膨れ上がっているが水戸市の人口の増加はやはり県庁所在地と言うことなのだろう。

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