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行灯(あかり)の赤レンガと銀杏まつり

     

     

2010年11月13日~14日に常陸太田市西河内下町(にしごうとしもちょう)にある登録有形文化財「旧町屋変電所」で開催された「第七回 行灯(あかり)の赤レンガと銀杏まつり」の模様をお届けする。

このイベントは昨年初めて訪れている「行灯の赤れんがと銀杏まつり(旧町屋変電所)

赤煉瓦内で演奏された「宇野順之ハートフル・コンサート」はコチラ

昨年は驚いて2回行ったが、今年も2回行ってしまったのだ(笑)前回は登録有形文化財ということで建物を重くした撮影だったが、今年は余裕で色々撮影してみた。筆者的な感想を言うと、老若男女を問わず、彼氏と彼女が手をつないで歩いて、「幸せだね」なぁ〜〜んて幻想的な雰囲気で言えるイベントは常陸太田市内でも、ざらにない。イチオシなのだ(笑

初日は、そばフェアーから移動して一斉点灯式に間に合った。チャッカマンを使って、あんどんをつけまくったのだ。薄暮から夜にかけて橋の上で撮影タイミングを狙ったが、その映像は軽く1000アクセスが見込めるベルガモットの曲で使う予定(←ベルガモも常陸太田の観光に貢献している(笑))

イベントは今回で7回目だそうで、主催者も地域の活性化や建物の保存活動が狙いだったそうであるが、常陸太田市の秋の風物詩になくてはならない催しになってきているのではないかと筆者的に思った。

関係者のみなさま、お疲れさまでした。

赤煉瓦蔵の改修が進む(有形文化財申請予定)

     

     

常陸太田市から文化庁に対して有形文化財の申請が予定されている、東一町にある明治43年に建築された旧稲田屋の三階建て赤煉瓦蔵の改修が進んでいる。コラム映像では、改修の中から、ほぼ完成している二階〜三階部分を撮影させてもらった。


今年の1月に関連コラムをアップしている
旧 稲田屋の3階建て赤煉瓦土蔵を訪ねた

赤煉瓦蔵の由緒については上記のコラムを参考にして欲しい。改修を行っている小泉さんはサラッとした改装を考えていたようだったが明治期における3階建ての赤煉瓦土蔵が茨城県内には少ない(ここを含めて2ヶ所)ため筑波大学の協力を得て学術調査を行ったという。

その結果、通常の土蔵とは思えないユニークな建築構造であったという。その謎も改修が終わった3階の柱に書かれていた大工の棟梁の名前を見て筆者的には氷解した。斉藤辰吉氏(以下、敬称略)は、現在の常陸太田市では失われてしまっている旧太田町の宮大工だったのだ。

斉藤辰吉の名前を初めて目にしたのは夜祭(ヨマチ)の取材で山下町の鋳銭座稲荷神社に訪れたときだった。平成20年に70年ぶりの本殿の屋根の銅を張り替えた時に本殿の中から大正9年に工事に携わった金井町在住の宮大工であった斉藤辰吉の名前が発見されたのである。
鋳銭座稲荷神社(山下町)

同時に発見された塙 寅吉氏は、斉藤辰吉の本家筋にあたり、明治37年に作られた国の重要文化財である太田一高の旧講堂建築に参加したことが確かめられており、講堂を設計した明治期の夭折した天才洋風建築家である駒杵勤治(こまきね きんじ)の作風が斉藤辰吉に影響を与えていたと考えるならば、赤煉瓦を見る目も違ってくる。斉藤辰吉は金井町の伊勢神社の建築もしており、子息は神輿の製作をしたと伝えられている(ご子息も旧太田小学校の体育館や常陸太田市内の神社改修を手がけられていた)。

赤煉瓦の三階の天井を見るといかにも宮大工が作ったと思われる柱の組み方を楽しめる。また建築から100年以上を経過しても松ヤニが吹き出している柱があるのには驚かされる。夏場の猛暑にもかかわらず窓からは心地のよい風が吹き込み清涼感を憶えた(更に畳等も京風の仕様として特注している)

文化財申請の動きが始まったことから、現在の所有者である小泉さんもじっくり改修を行う腹を決めたらしい。完成後は東通り商店街の新しい名所となることを期待したい。

旧 稲田屋の3階建て赤煉瓦土蔵を訪ねた

     

昨年の暮れも押し迫った26日に鯨ヶ丘東一町の小泉さんから電話があった。赤レンガ土蔵が綺麗になったので撮影にこんかいという話である(笑)カメラを持って鯨ヶ丘を行ったり来たりしているうちに顔見知りになったのが縁だが、くだんの3階建ての土蔵の隣にある明治風の商家の2階も一緒に探検したことがあった(笑


【衛星写真は地図をクリックして設定】

おっとりがたなで駆けつけると、なるほど隣の商家は解体され赤煉瓦の壁面もツタが取り除かれ綺麗になっている。コラム映像のオープニングは最近発見した昭和30年代の商工案内図の常陽物産商会で位置関係を表現しているが東一町の新星タクシー隣の土蔵と言えば旧太田町内では知らない人はいない。

常陸太田市商工案内図(昭和30年代)
http://audience.studio-web.net/HDdiarypro/pdf/syoukou30.pdf

明治17年に茨城県で発行された「勧業年報」で大田町の年商金額5000円以上の商人は7名記載されており、東一町20番地の「稲田屋」という屋号で稲田敬造氏が造酒を営んでいた場所がここである。

現在は駐車場となっている広大な敷地にある3つの井戸跡や裏側の門柱、更に敷地を遮る塀の屋根などにも稲田家の屋号を物語る瓦などがあり往時は凄い勢いであったことが推察することができた。常陸太田の中では稲田家は押しも押されもしない大商人であったようだ。

この土蔵の3階の天井柱に稲田家による墨で書かれた文字が残されており明治43年と年号が確認出来た。鐡道の太田線が開通してほぼ10年ほどだ。交通網の発達により酒類の売り上げが飛躍的に伸びたことが想像され、赤煉瓦土蔵は東通りを歩く町民に対して睥睨するようにそびえ立っていたと考えると面白い。

明治39年茨城縣管内全圖(鉄道が確認出来る)
http://audience.studio-web.net/HDdiarypro/diary.cgi?no=19

現在の所有者である小泉さんは土蔵をリフレッシュして飲食店として再開発する意向がありテナントがすでに決まったそうである。また商家を解体した隣には家人が新たに事業を開始するための建設計画が着々と進行しているそうだ。両店とも開店時には東通り商店街の新しいお店としてコラムでフォローしたいと思っている。

ちなみに小泉さんは土蔵の3階に将来住みたいなどと言っている。そのときはカメラを入れてくれるかどうかは別にして訪ねてみたい(笑)太田まつりなどがよく見えるはずだ。

赤煉瓦蔵の改修が進む(有形文化財申請予定)

行灯の赤れんがと銀杏まつり(旧町屋変電所)

     

11月14〜15日に開催された西河内下町の「行灯の赤れんがと銀杏まつり」をお届けする。

2010年の第七回 行灯(あかり)の赤レンガと銀杏まつりはコチラ


【衛星写真は地図をクリックして設定】

常陸太田市の国指定文化財「旧町屋変電所」で行われている。
詳しくは「行灯の赤れんがと銀杏まつり」
http://www.akarenga.hitachiota.jp/

夕方の3時頃に行灯のロウソクに火を入れて陽が黄昏れると行灯の灯りが浮かび上がってくる演出だったが2日間天気に恵まれイベントが成功した。橋を渡って会場に入ろうとするビジターは例外なく美しさに感嘆の声を上げている。叙情性の強い幻想的な光景が突然現れるのだ。筆者もイベント設定のセンスの良さに感動した。

あまり面白いので2日間訪れたがイベント時は風も雨もなく絶好の撮影条件に恵まれた。

手間のかかる仕込みを準備された関係者には頭が下がる思いがする。旧変電所内では、多くのジャンルの音楽が生演奏されイベントの雰囲気を盛り上げていた。変電所の周辺は銀杏の匂いが満ちている。

ちなみに
2日目の運転はかみさんに頼み筆者は薄暮のシーン他数シーンを撮影して、すぐに売店のお酒を呑んだのだった(笑)とてもお酒が美味しい夜だと思った。

関係者のみなさまお疲れさまでした。

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