今日は西河内中町にある鎮守の天満神社(天神さま)のお話である。昨年の秋に開催された旧町屋変電所のイベント「行灯の赤れんがと銀杏まつり」から車で10分もしないところに天満神社がある。
元禄3年(1690)に光圀の命により現在の位置に移されたと言われているが鎮座地を巡り氏子間で論争が起きたらしい。その時、夕立とともに雷鳴が響き愛宕の山に稲妻が走った。
その閃光に従って愛宕の森に天満宮を建立したと言う。つまり元々愛宕神社があった場所に天満宮を鎮座したと言う経緯を辿った。ところが映像を見るとわかると思うが、どちらかというと天満宮のある後ろに愛宕神社が押しやられる感じになってしまっている。
これが原因となり、色々怪異が起こったらしい。宮司さんが祝詞を奏上中に天井に持ち上げられたり(笑)、大火が発生したり、ゴユガマ神事の最中に愛宕神が、とうとう怒り始めたと言う。
「天神サマ、天神サマト皆ガ呼ブガ、ココハ私ノ屋敷デアル。天神サン、天神サントハ言ウガ アタゴサント呼ブ人ヒトリモナシ」と怒りのお告げを賜ったらしい。村人は「オアタゴサンヲ忘レデハ申シワゲネー」と言ったという(上記は西河内聞きある記より引用、転載)
その後、驚いた村人は氏子総代が注連縄を張る時は愛宕神社から優先するようになり、お参りの際は両者平等に行うようになった(ちなみに撮影の時は伝説に基づき愛宕さんから参拝した(笑))
この話の面白さは今でこそ天満宮は学問や疱瘡(天然痘)の神様とされているが、平安期は雷神に転化した菅原道真の怨霊を鎮めるために建立された祟り神封じの歴史を持つ神社であったからだ。
つまり筆者から見ると祟り神(雷神)が移転して信仰を集めるのを見た愛宕(火伏せ・防火)さんが頭に来た(妬んだ)という図式に見える。このように相反する属性を持つ神々が同一場所に存在することはよくあることだが、祟り神 vs 妬み神という話になることは滅多にない。非常にユニークな伝説が残っているのである。
天満宮の御神像を見ることはできなかったが昭和34年に県の文化財に指定された。鎌倉時代末期の制作とされているらしい。また発見された徳川斉昭の和歌を記念して昭和36年に記念碑が建立されている。
盾艦を用九造りて我乗らば
神の御国の守りならまし
明治21年(1888)に国内で天然痘が大流行したため太田若宮八幡宮に出社した記録が残っている。久慈川、里川、西河内川流域の住民の信仰が厚く、大正6年(1917)より那珂湊、日立方面の参拝者で連日露店が並び賑わったという。
お時間があれば訪れてみてはいかがであろうか
天満神社 常陸太田市西河内中町239

